無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

普通の生活の中で音楽に逢う機会

ヒカルが自分の曲をかけるか、にも注目ではあるが、新曲を出す訳でもない為、コメントを挟むとするといきおい総て"昔話"になる。タイトルだけコールするパターンがメインになるだろうかな。本人も妙に照れたりするしねぇ。「もう時効だから言えるまだ公に披露した事がない制作時の面白エピソード」とかむっちゃ聴いてみたいんですけど。今だから言える、っていう。「あの曲が思ったより売れなくて落ち込んだ」とか言わないかな〜…ないか。

昔話、か。どこまで"今"に焦点を当てるかは興味深い。時期や時代を問わないのなら「セイキロスの墓碑名」から現代に至るまで無数の選択肢の中から純粋に光の感性で好きな曲を選んでくれればいい。

でも、"純粋に"って何だろうか。誰しも、流行りが気になる。ヒカルのように「Popであること」を制作の基準に据えるともなればなおのこと。そこらへんのバランスについても生々しく語ってくれないかなぁ、と。どこまで流行・時流・時代の空気というものを音楽に反映させているのか。きいてみたい。

様々なスタンスが有り得るだろう。Pop ミュージシャンたるもの、常にアンテナを張り巡らして"最先端の音"に常に触れていないとマズい、と焦燥感や義務感と共に生きるのもいいだろうし、私は現代に生きているのだから今自分が普通に生きていれば自然と現代の音を捉える事になるだろう、という力の抜けたアティテュードもいいだろう。或いは逆に、他のミュージシャンからの影響を受けたくないからと制作に入ったらインプットを断ち切るケースも存在するか。「私の音楽純粋培養」という感じ。なんか培養という語を誤解している気もするが。

特に、今の2番目の"自然体"スタイルがヒカルらしいかな、とは思うがこれを実践するのは意外に難しそうだ。"普通に生きて"いて触れ合う音楽って一体何なんだ? 一言でいえば、メジャーレーベルのリリースしている音楽、という事になる。ラジオやテレビから流れてくるのは基本的にそれである。

しかし、その為にはラジオやテレビのある所で、それを点けていないといけない。こういう時、案外時間をたっぷりとって音楽を聴けるのが自動車という空間だ。通勤とか買い物とかで運転する時、大抵の人はラジオをつけるか自前の音楽をかけるかするだろう。この時間が結構バカにならない。

でも、光って免許とったのかなー結局。

記憶が曖昧だが、地下鉄で目撃された時はiPodを身に付けていたっけか。そうなると、そこに何を入れて聴いているか、になる。自分で買って聴いている音楽。で、それは最初どこで出会うのだろう? ラジオなのか、インターネットなのか。番組で曲をかける時は、出来れば「この曲に初めて触れたのはこれこれこういう時」だとか「この曲を知ったキッカケと成り行きは」みたいな話を差し挟んでくれると有り難い。光が今どういう曲を好きなのかを知りたいのは勿論だが、どうやってその好きな曲と出会えたかについてはもっと知りたい。それこそが、光にとっての"普通の生活"の一片なのだから。ま、本人が忘れちゃってるケースが大半だけどね。


私が宇多田ヒカルを知ったキッカケは…ってあれだけテレビでもラジオでも新聞でも雑誌でも散々騒がれてちゃ興味を持つなという方が無理だ。目につくメディア全てに宇多田ヒカルの名前が踊っていたのだから。出会わない方がおかしい。何だかそれってちょっとつまらないことのような、ものすごくいいことのような…へんなかんじだわね、うん。