無意識日記々

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ラジオノリ

今年は新旧のアニメ映画がどれも好調で、相変わらずあの業界は(問題は多々あるにせよ)成長しているなぁと痛感せざるを得ない。その中でも、やはり世代毎の作品に対するアプローチの違いには目を引かれる。

魔法少女まどか☆マギカ新編」は15億円を突破し深夜アニメ発としては異例の大ヒットとなっているが、中身の方はこの新作になっても"深夜アニメらしい"ノリを存分に発揮している。一言でいえばこの新編は「二次創作発想の公式認定作業」だったと言っても過言ではない。即ち、同人誌等で発露されていた視聴者側の願望や希望の数々が大きく取り入れられていた展開になっていたのだ。陰鬱かつ不気味な作風なのにどこかカタルシスを感じられるのはそういった要素が大きいからだ。

かたや今年最大のヒット作である「風立ちぬ」は、監督の作家性が前面に、いや全面に押し出された作品で、ファンのジブリに対する期待なんぞまさにどこ吹く風であった。俺アニメ描く、お前ら観ろ。そういう関係性が前提にあったといえる。

やや乱暴に対比化しているが、それだけ今の作品作りは、劇場映画ですら受け手との相互作用が強くなっているという感触が強くなっている。それは世代推移と技術進歩のかけ算だが、そこから生まれるグルーヴ自体は、何か馴染みのあるものを感じていた。それは何かなと思っていたら、何の事はない、深夜ラジオのあのノリである。

深夜ラジオといえば、リスナーの中から常連の投稿職人が生まれてきて、その人たちと一緒に番組を作る感じが強い。今でもそのノリは健在だが、インターネットや各種デジタル技術の発展のお陰で、アニメのような図体の大きなプロジェクトにすら、深夜ラジオのような"視聴者との一体感"が生まれつつある。このスピード感の違い。ついていく必要はないと思うが、そうなっているという認識はあった方がいい。


Hikaruは今、深夜ではないけれどラジオ番組をもち、一方で、本流となる音楽の創作活動には表立っては関わっていない。彼女は、そういったバランスの変化をどう感じ取って、どう活かしているだろうか。そんな話が次回のテーマと…なりますやらどうなるやら。書いてみないと、わかりません。