無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

曲毎の、人への、番組への各テンション

「曲毎に気に入ってもらえたりもらえなかったり」がHikaruのファンに希望(?)する態度だが、今の邦楽市場ではこんなアティテュードは殆ど消えかかっていると言ってもいい。各ジャンルの音楽ファンは兎も角として。

今はひたすらもう、特定のアイドルを如何に継続的に支援してもらえるかという点に意識が集中していて、楽曲の良し悪しは二の次になっている。その為、まるで売上と内容が反映されない。前の曲がよかったから今度の新曲は出荷枚数が大幅増、という事もあんまりない。売上という指標がないから聴く方の意識も離れがちだ―

―という現状認識を共有した所で(てさぐり部かよ)、ふと疑問に思ったのだが、果たしてうちのこの日記のテンションってどれ位共有されているのだろう。宇多田ヒカルのファンとはいえ、曲ごとに好みがあり、ひとりひとり、時期毎にテンションが上がったり下がったりがある筈だ。しかし、この無意識日記という場は、振り返ってみると、新曲が出る度に終始テンションが上がりっ放しだ。少し落ちたかな…と思ったのがFlavor Of Life -Ballad Version- が発売されてから数週間、だからもう七年近く前になる。これもOriginalが発表される頃になると「先にこっち聴かせなはれや」とすぐにいつもの感じに戻ったのだし、第一、世間はひっさびさの宇多田フィーバー状態だったのだからそれでバランスが取れていたともいえる。

となると、やっぱり新曲が出る度に、ここを読みに来たり読みに来なかったりといった取捨選択が起こるのかというとそれも違いそうで。一曲々々の前にヒカルのファンだという人間が相当数居て、今度の曲が少々好みからハズレていても、相変わらずヒカルには気をとられている、というケースが多数を占めているように思う。

―こんな事を書いているのは、では、Hikaruは熊淡のリスナーとしてどこらへんを想定しているのか?というのが気になったからだ。一応、まずは"InterFMのリスナー"が第一ターゲットになっているように思うが、果たして今やRadikoを使って"わざわざ宇多田ヒカルを聴きに行く"層とのバランスがどうなっているかはわからない。夜の22時の番組だとカーラジオ層がいちばん大きいか? いやそれともやはり一般家庭なのか…

ラジオ番組をやる以上、「誰に聴かせるか」をある程度想定していないと、やりづらいだろう。どこから喋っていいかわからない。しかし、今、宇多田ヒカルに興味がある人間とは、ヒカルのどの曲が好きだからというより、ヒカルが好きだからという人間が圧倒的に多い。最新曲のリリースが一年以上前なのだから当然だが、だとすると、そもそも「音楽番組」という枠組み自体が不適当となってしまう―ここらへんの葛藤については、また稿を改めて。