無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

淡正しい時間

熊淡も6回を数えるが、ここまで、一度も特定のリスナーの名前が紹介された事がない。異例とまではいかないが、これだけポピュラーな歌手のラジオ番組でそんなコンセプトを押し通せるってInterFMの肝の座りっぷりったらない。

お陰で、と言うべきかはわからないが、ラジオにだけ耳を傾けていると、そこは「Hikaruと私」の空間になる。それを狙っての事かどうかはわからないが、あんまり「みんなとお喋りしている番組」という雰囲気ではない。一人宅録というスタイルの反映だろうけど、一人喋りの番組でリスナーの顔が見えないのは大胆だ。

実は、そこが、多くのファンが「物足りない」と感じる原因なのではないだろうか。音楽の話しかしない、というのも勿論あるだろうが、合間々々にリスナーからのお便りを十数秒だけでも紹介したりすれば、グッとHikaruの存在が近付く。「みんなでワイワイガヤガヤ」感が出てくるのである。

私は、別にそうして欲しいとは思ってはいない。皆でワイワイガヤガヤしたいのであれば、Twitterハッシュタグをつけてツイートすればいい。実際そうしてるし。便利な時代になったものだ。"感"を出すのではなく"実際に"出来てしまう。それで十分なように思うのだ。でもそれは確かに、"ラジオ番組だけで楽しむ"スタイルには、なっていない。


…物凄いアクロバティック且つシンプルな事を言えば、同時期にもう1つラジオ番組を作れば問題は解決する。つまり、リスナーからのお便りを紹介し、リスナーに語り掛け、他のミュージシャンの話ではなく、Hikaru自身がどこに行った誰と会ったみたいな話をする番組。これと熊淡があれば皆満足。流石に人間活動中は無理だろうかな。

そこなのである。音楽番組をやって他人の音楽を紹介していると、なかなかDJ自身の話にならない。かけた曲を書いたアーティストと実際に知り合いだったりすると、例えば大正九年ちゃんとのエピソードが聴けたりするが、付随的なものだ。熊淡は、宇多田ヒカルの好きな音楽をかける番組だが、宇多田ヒカルについての番組ではないのである。もっと言えば、「私の事は置いといて、世にはこんな素敵な音楽が」というコンセプトなのだ。だから人間活動中でも引き受けられたともいえる。自分の事喋らなくていいから。いや勿論自分の歌もかけてるけども、特典的な扱いで、別にメインアクトという訳でもない。

これ、気楽なのだ。自分の事喋らなくていい。自分の好きなものについて語っていればいい、っての。いやそれって自分の好きなものを紹介している事で貴方自身を表現しているようなもんなんじゃないですか、と言われそうだが、違うのである。例えば、この無意識日記がよい例だ。私は私自身についての話より、Hikaruについてばかり話している。だから書く事に抵抗がない。連載が続いている秘訣のひとつと言っていい。その感情から鑑みると、熊淡は長寿番組になる可能性を秘めている。自分については語り尽くしてしまえるけれども、自分の好きなものについて語り終える事はない。この日記が何よりの証拠だ。だから熊淡は今のままでいいと思う。それはとても居心地のいい場所だからね。