無意識日記々

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最終問題ははらたいらさんに全部

この、「In The Flesh 2010 footage」を観て聴いている時に感じる「ベスト感」は何なのだろう、とずっと考えている。それは、ホノルルの現地でも感じていた感覚だから、もう四年越しでずっと探しているのかもしれない。

ショウのセッティングとしては、弦を派手に盛り込みかつ親密な空気を作り上げてきた「Unplugged」がいちばんだとずっと思っていたし、パフォーマンスのクォリティーという点ではやはり「WILD LIFE」がいちばんである。歌の絶好調ぶりは皆さんご存知の通りだし、何といっても曲が凄い。当時最新曲だったグッハピとキャンクリで過去の名曲群を挟み込む鉄壁且つ攻めの構成。BLUEとかテイク5とか美世界とか愛囚とかもうとんでもない。鬼の名盤ハトステとシンコレ2からの曲がある分、過去のLIVEとは分厚さがまるで違った。もうとんでもないスケール感。今宇多田ヒカルを誰かに教えたければまずWILD LIFEを見せるだろう。桜流しを歌ってないのが残念だが。(当たり前だバカ)

そう思ってる私でも、この、インフレから感じるベストフィット感は拭えない。「ここに居ていいんだ」というか「こうして居る事の自然さ」というか、兎に角言語化が難しい。「こうあるべき」という程堅くなく、「こうあってほしい」という程でしゃばっていない。「こうでなくてはならない」という程力んでいないし、何というか「これがいい」し「これはいい」。実際に観た人なら、同じ事を感じているかもしれないが、インフレと共にある時間は、他の事に気をとられないのである。何かにそこから憧れるとか、何かを目指すとか、何かを懐かしむとか、そういう事がない。そんなに力まなくても、憧れも夢も懐古も総て既にここにある。

やはり、「制限がない」というのがポイントである気がする。WILD LIFEではUtadaの曲は"やれなかった"んだろうし、Utada United 2006では例の3曲を演奏したが、何というか、舞台の上でも下でも「別枠」として捉えていた気がする。また、Unpluggedでは、その名の通りエレクトリックなサウンドは極力排除されていた。そういう企画だったのだからそれはそれでいいのだが、どのLIVEも結局、何らかの制限があって、Hikaruにとって某かの"偏り"のある内容だった。

観客の力も、その点に関しては大きい。日本の多くのファンと違って、歌詞が母語じゃないからあんまり興味が持てない、なんていう空気は、会場に全くなかった。そういう人も居ただろうが、残念ながらあの場では主導権を握れなかったという事だ。つまり、やっぱり「Utada Hikaru全部」感が、In The Fleshが、今までのLIVEの中でいちばん強く、そして、彼女の存在をまるごと!と思っている人間にとっては、最も居心地のいい空間だったのかもしれない。

First LoveアルバムからはAutomaticとFirst Love、DistanceアルバムからはCan You Keep A Secret?DEEP RIVERアルバムからは桜ドロップス、ULTRA BLUEからはPassion、HEART STATIONアルバムからはStay Gold(とぼくはくま)、EXODUSアルバムからは三部作、そしてThis Is The Oneからは、ボーナストラックも含めると10曲、という選曲は、意図的に「全部のアルバムから歌いたい」というコンセプトの元にクマれたものなのかどうかはわからないが、バランス面で優れているのは間違いない。とするなら…まだまだ、このテーマは考えていかなくてはいけないかもしれない。その答を知りたくて、また海外公演に出掛けてちまうかもわからんね、こりゃ。