無意識日記々

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クレームはこの1点のみ。後は絶賛オンリー

さて、いろんな話をまだらに彩っていきましょうかね…。

今夜はLUV LIVEの話をしてみようか。大したLIVE経験もないのにいきなりZepp Tokyoの2700人(MCじゃ"3000人以上"っつってるけど流石に本来のキャパより10%も詰め込むのは無理なんじゃないですかね…消防署から怒られるよ…)の前に放り出されてこの舞台度胸と歌の出来は大したもんだ。ざっと観たところ歌の差し替え等もない。引きの場面はわからないけど。

差し替え云々の話なら、このデビューライブの出来は絶賛されて然るべきだが、先に一つクレームを入れておこう。前も少し触れたが、歓声がわざとらし過ぎる。特に音だけ聴いているとドン引きである。どれだけ熱狂的なファンをかき集めても、Zepp Tokyoでこんな歓声は聞こえてこない。まるでスタジアムみたいな歓声で、否応無しに「ドリフ大爆発の笑い屋のおばちゃんたち」を想起させるわざとらしさに満ちている。画面を観たら、シングル曲以外では観客の皆さん完全に様子見なのがそのドン引きさ加減に拍車を掛ける。遠慮無く言ってしまおう。こ れ は ひ ど い 。

しかし、それ以外に関しては文句のつけようがない。画質や音質は15年前という点を勘案すれば十分だと思われるし、何より、先述の通りヒカルの歌唱が素晴らしい。一時間とはいえ、よくこれだけ連続して歌えるものだ。もしかして、実際はもっと休憩を挟んでいたのかな? そうだとしても凄い。元々通りのいい歌唱法ではないため、時としてバックのサウンドに飲み込まれかけたりもするが、それはスタイル自体の問題である。ライブ・シンガーとしては、デビュー時点で一流だったのだなぁと改めて思い知らされた。


このライブで私がいちばん注目したのはヴィニー・カリウタ&ニール・スチューベンハウスのリズム隊2人のプレイである。特にカリウタ先生は、ヒカルもMCで触れている通り、恐らく凄まじいギャランティーを支払う必要があった事は想像に難くない、20世紀を代表する伝説的とすらいえる超絶技巧のドラマーさんだ。ぶっちゃけ、この後12年間を合わせて考えてもキャリア・テクニック共に、Hikaruと共演した中でも最高峰と言っていい。相性でいえばジョン・ブラックウェルの方かもしれないし、テクニック&パワーという面ではジョン・セオドアの方が上かもしれないが、ドラマーとしての総合力ではカリウタ先生に一日の長がある。


…ドラマーの話なんて興味ない、私はヒカルの歌にしか興味がない、と言いたくなってる人もちょっと待て。実は、ヒカルのライブでの歌唱というのはその時のリズム隊の特性に大きく影響を受けるのだ。特にフェイク/アドリブの部分では、ドラマーの個性にそのメロディーラインは大きな影響を受ける。"何故ヒカルは今回フェイクをこんな風に歌ったのか"の理由のひとつに、ドラム・サウンドがある事に疑いがない。

何故"疑いが無い"と強い調子で言えるのか。それは、三宅さんが言っていたように、そもそもヒカルがドラムを初めとした「リズム」から楽曲を作っていくからである。編曲に大きく関わってはいなかったこの「First Love」アルバムからして、リズム・ループを流しながら曲を作っていった、と三宅さんは明言している。それならば、そのリズム・サウンドのニュアンスがプレイヤーによって異なるならば、メロディーラインの解釈も変更を余儀無くされるという訳だ。これがヒカルが言うところの「スネアの切なさ」の部分なのである。リズム隊の話抜きに、ヒカルの歌のライブ・バージョンの話は始まらないのだ。

さてそれでは具体的に…見ていくのはまた次回だな。いつになるかわからんのだけど。