無意識日記々

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今の15年前と昔の15年前

Luv Liveを観ていく、という作業(ってのも変だが)は、そのままFirst Loveというアルバムを振り返る作業でもある。このアルバムからしか選曲されてない訳だから。カバーはあるけどね。当時は勿論このblogはなかったから、そういえばFirst Loveアルバムについて突っ込んだ話なんぞした事がない。その為、同作の楽曲について掘り下げていくのには新鮮な気分を感じる。

しかし、15年という歳月って"こんな感じ"だったっけ。1990年に1975年のアルバムを聴いた時には、もっともっと"昔"の音に聞こえたものだ。確かに、その15年で商業音楽を取り巻く環境は激変した。アナログレコードとカセットテープがCDとハイポジ&メタルテープに進化し、ウォークマンも誕生、MTVがスタート、日本ではFM局が次々と開局し、シンセサイザーや打ち込みも進化した。1975年と1990年では、聴こえてくるサウンドが全く異なったものでも違和感はなかったのだ。

1999年と2014年ではどうだろう。ちょうどi-modeがスタートした年なのかな。CDとMDがダウンロードにとってかわられつつあり、携帯音楽プレイヤーも半導体メモリになり、ボーカロイドが誕生し、タブレットを駆使してステージ上で演奏するのも当たり前になった。しかし、では音楽が新しくなったかというと、うーん。世代毎に歌詞のテーマに違いがあるものの、サウンドの方はこの15年、殆ど変わっていない。

今回First Loveのリマスタリングを聴いて「寧ろ1999年の時点でこれだけのサウンドクォリティーだった事に驚き」てな発言を2,3目にしたが、それはつまり、音質としてもスタイルとしても、この15年ではあんまり前に進んでいない、という事なのだろうか。出した音をリスナーに届ける迄の機械的プロセスは否応無しに進化してきたが、肝心の音自体については、リスナーの方も含めて、結構頓着せずに来ている気がする。

新しい世代の音楽といえばボカロ世代がいつ来るか、なんだが、聴いた所まだまだジャンルとして幼い。まだ技術的に過去の音楽をボーカロイドでどうやって、という段階で、そこから大きく外れるものは出てきてない。日本発の文化で、且つ日本人は「うまく真似できなかったものは失敗」として切り捨てる傾向にあるから、実は望みが薄い。その中にオリジナリティを見つけなければならないのに。モタモタしてるうちに多分、他の国から全く新しいタイプのボーカロイドミュージックが生まれてくるのではないか。そっちの方が先である。

ヒカルは、翻って、ジャンルにも時代性にも囚われない音楽を提供してきたから、今15年前の曲を聴いても、アレンジャー陣による一部のサウンドを除き、余り古さは感じさせない。が、そもそも1999年の時点で「時代の音」というのは、少なくとも日本ではなくなりつつあったのだ。実は、「古臭く聞こえない」というのは、よい事のようでいて、その頃から進化・変化していないという停滞のネガティブなサインなのかもしれない。物事は、どのようにでも見れるものなのである。それにヒカルが関係あるかないかは別として、だけど。