無意識日記々

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InfiniteDreams I Can'tDenyThem

ブラジルで開催中のワールドカップ会場で日本のサポーターたちがゴミ拾いをして、それが世界から褒め称えられているらしい。いや、他の国のメディアより前にそれを報じるあなた達は褒め称えてなかったの…いや確かにもう恒例で取り上げる程でもないかもしれないけれど、何だかそういう所が物足りない。

あまり普段使わない言い回しを敢えて用いるとすれば、それが日本人の国民性なのだろう。自ら何かを称えたりするのが苦手で、外から褒められて漸く安堵する。自己満足に陥らないいい方法だとは思うが、他方で様々な可能性を事前に潰す、或いは種を掬い上げられない欠点とも解釈できる。両方あるのがいい。要するにテメーで価値判断しろという事だ。「価値観の自立」が、全体的に足りていない。個々がどうのというより、文化的な前提が未熟なのである。

偉そうに言っている私は、多分そこはとても徹底している。自分の目と耳で判断する事にはとても注意を払ってきた。何故なら、この国にはその自立した価値判断を奪う機会に満ちていたからだ。満ちていた、と過去形で書くのは願望かもしれない。インターネットが普及し、これで個々が好きなだけ自分の価値観を追い求める事が出来る…と思っていたら逆だった。幾らでも他人の評価が耳目に入ってくる為、それらを継ぎ接ぎさえしていれば何かを言った気になれる、自分のポジションを確保したといえる、そんな空気が支配的である。なかなかに、この国民性は知らない。なお他の国の事は知らない。或いはどこの国でも同じかもしれないな。

Hikaruはここより更に超越的である。自分の価値観と他人の価値観を区別しない。どれもただそこに在るだけである。故にPopular Musicを、心を売る事なく真心で書けてきた。しかしそれが可能なのは、他人が与えてくれる様々な情報―表情や仕草や書いた文章や何やかんやといったあらゆるもの―から適切に人の心を掴む事が出来てきたからなのだった。これに倣って言えば、Hikaruはその歌声で我々の心を掴む遥か以前の段階で、既に人々の心を掴んでいるのだ。勝負はその時に既に決まっている。

それを支えてきたのは、類い希なる観察眼(恐らく、少し悲しい事だが、周りの大人の顔色を窺ってばかりの日々がその力を育んだのではないかなと)と、末恐ろしいまでの想像力である。これがこうであるからにはこうで、ならばあっちはこうなって、と見通す力。それを失っては人々の心を掴めない。

だから、Hikaruは自分の言葉を綴る時、その反応まで見通した上で綴る。わざとそうしているのではなくて、綴った言葉の上に世界が自然と広がるのである。それを止める事は出来ない。

今回の"一言"には、その広がりが無かった。私は、これがこれっきりになるのなら全く問題にしない。何も気にしない。長い人生、気が動転する事も一度や二度じゃあないだろう。私がずっと(多分今週一週間ずっと)言っているのは、この"一言"が示唆する道をそのまま行けばヤバい、という話なのだ。すぐに軌道修正されるならいい。しかし私の想像力は、今までに想像した事もなかった方向に展開されざるを得なかった。大事なのはこのどうってことない一言ではなく、ここから広がり得る世界の方だ。私はそっちに行きたいとは思わない。Hikaruもそんなこ…言葉が切れる。一筋縄では、いかないようだ。