無意識日記々

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「今が楽しくて将来も楽しい」だなんてそんなむしのいい話があるか、と言われそうだが、そもそもそもそも宇多田ヒカルという存在がどういうものだったかを思い出して欲しい。アルバム1位連続記録を持つ母と同様に史上最高売上を持ち、抜群の歌唱力、異常な作詞力、他の追随を許さない作曲力をもちピアノまで弾けプロデュースまで手掛けてしまう。若い頃の学校の成績はオールストレートAで文学や漫画アニメにも造形が深く、日本語と英語をそれぞれ高いレベルで使いこなす。ひとたび筆をとれば写実的なデッサンから4コマ漫画まで幅広い画風を発揮し、NintendoDSを握らせればテトリスカンストを叩き出す。その上母親譲りの美貌をこの上無い愛嬌でくるみ、人間的にも申し分なく、その人柄だけでも他の皆を魅了してやまない――「今度こういう主人公で漫画書いてみたいんだけどどうですか?」と編集者にお伺いをたてたら「馬鹿も休み休み言え」と呆れてつっかえされる事間違いなしの圧倒的なチートキャラである。漫画でもこんな完璧超人を描く事は憚られる
。流石ですわお兄様? 何の話?

ここまで"都合のいい"人間が実在してしまうのだから、彼女が"ひたすら楽しい"人生を送ったとしても何ら不思議ではない。いや、その存在の前ではそんな事ちっぽけ過ぎるとでも言いますか。それはそれでアリだと思う。

ただ、私としては世界の本質は圧倒的に4、「今苦しくて将来も苦しい」、これが真実なんだと思っている。何も知らなければ我々は現実に翻弄され続けるだけだ。世界に対する知見を長年何代にもわたって蓄積してきているから2やら3やらの振る舞いが出来る。少しでも気を抜けばいつでも4な人生が待っている。話の出発点はそこからだ。

「今楽しくて将来も楽しい」人生を貫くにはそれこそThin Lineを常にギリギリ渡り続けるだけの集中力が必要だ。逆にいえばそれを発揮しさえすれば、その有り得ないような人生観だって実践可能だと信じたい。それに相応しいのはまずヒカルだと思っている。奇跡を呼べるのは奇跡しかない。

1の人生を否定したがる気持ちが、何故か人々の中にある。ある程度の苦しみがないと何か罪を背負っているような、贖罪の感覚。確かに、苦労した人に対しては優しく、楽しんでいる人には手厳しい、なんて空気も存在する。しかし、それはいつのまにか取り違えられた感覚なのではないのか。変な話だが、そうだな、こういえばいいだろうか、誰しも人は、幸せになり過ぎる事を恐れている。どこかでその高すぎる代償を払わなければならなくなる事を恐れている。自分の身に身の丈以上の恩恵が降り注ぐのに対しておののく。開き直って「うわすげー嬉しい!」と笑顔で言い切るのは物凄く勇気が必要だ。それが君に出来るか?

その「代償」って何だろうな。人は「私はこれだけ苦しんだのだから何か恩恵を受けてもいい筈だ」と考える。しかしそれは私に照らし合わせてみればありえない。世界の本質は4であり、あなたが今まで苦しんだのであれば今後もずっと苦しみは続く。築き上げられた社会の蓄積のお陰で我々は2と3を行き来する人生を送れているのだ。それに抱え切れない人生はひたすら4、4、4である。

そこに立ち返ってみれば、1の人生も「なくはない」と思えてくる、筈である。ヒカルはどう考えているか、ちょっと訊いてみたいものだ。