無意識日記々

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世は歌につれないご時世ですが

日本は未だにCDの売上が国際的にみて高い、という記事が出ていたが、御存知の通りそれはアイドルのノベルティのひとつとして売れているだけで、ブロマイドやストラップとかわりがない。深刻なのはダウンロード販売が低調な事で、つまり若年層が音楽を購入する習慣自体を失っている事を意味する。壮年にとってはCDが高いといっても高々3000円、欲しいと思ったら躊躇い無く手を出せる価格帯なので特にダウンロードに流れる理由は無い。高齢者がデバイスを変えたがらないのは、未だに演歌の新曲がカセットテープで売り出される事をみればわかる。縮小していくだろうがあと20年はCDの需要が消える事はない。

こうなってくると、Hikaruの得意な「その時のデバイスを歌詞に織り込む」手法を採るのが難しくなってくる。Computer Screenが暖かかったり(ブラウン管時代の話―液晶以降は画面に熱をもたない)やPHSBlackberryにMp3、Hard Drive(フラッシュメモリの台頭が著しい)といった単語を歌詞にして歌ってきた向きからすれば、特に日本の若い人たちに対して何を歌えばいいのやらよくわからない。

いずれも、おそらくHikaruの実体験に基づいた言葉のチョイスなのだろう。Blackberryを使っていたという話もあるし。しかしもう30代なのだから、10代〜20代と同じ目線という訳にはいかない。

例えば、『10時のお笑い番組』なんていうのは、流石にまだまだ共有できるとは思うが、流れによってはレトロな表現として受け取られていくかもしれない。「そういえば昔は皆決まった時間になったらTVの前に集合してたねぇ」と。これも、CD同様高い年齢層に対してはもう定着してしまった習慣だからあと20年30年は実感を伴って受け止められるかもしれないが、若い子たちにその習慣が受け継がれていくかどうか。

ここらへん、音楽ソフト鑑賞とテレビ視聴の分かれ目があるかもしれない。テレビがどこまで"お茶の間で家族皆で"楽しむものであり続けられるか。音楽ソフトの方は、元々自分の部屋で個々に楽しむものだったから、その習慣が次の世代に伝播する必然性はない。結局、世代間の継承の有無が、音楽ソフト販売量の減少に繋がっている、とみる事も出来る。

では、同じように個々の部屋で楽しむゲームや漫画といった他の娯楽はどうかとなるが、こちらは多少の浮沈はあれど低調という話にはなっていない。ただ、特に漫画をはじめとする書籍の方は電子化自体が音楽に較べて10年遅れているので単純な比較は今は出来ない。結果としては「それとこれとは関係ない」となりそうだけど。

世相もある程度反映するHikaruの歌詞が、今後どこらへんを掬い取っていくか。世相自体を題材にしなくなっていく可能性も含めて、頭の片隅に置いておきたい視点ではある。すぐ廃れたり、20年経っても同じだったり、様々な位相が存在する事だろう。