無意識日記々

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右耳から入って左耳から抜ける話

イヤフォン型ウェアラブルウォークマンを愛用していてひとつ明らかに変化したなと思ったのは、「音楽の鳴っている場所」に対する認知感覚である。イヤフォンはイヤフォンなので、コードがあろうがなかろうが定位は「頭の中」ではあるのだが、コードがあると「本来は眼前に鳴ってる筈の音が少し後方に定位がズレている」と感じるのに、コードレスだと「音楽が頭の中で鳴っている」と素直に思える。この変化が面白かった。いわば、夢を見ている時に曲を聴いているような気分にさせてくれる。

よって、コードレス・イヤフォン(型ウォークマン)で音楽を聴く時は、アレンジに空間的広がりのある、"音で世界を作っている"ようなタイプの曲が合う。ヒカルの曲でいえばPassionやStay Gold、桜流し(もし音質がよければ、だが)といった曲だろうか。アンサンブルが立体的な、そうだな、Gentle Beastなんかもいいかもしれない。


何が言いたかったかといえば、再生機器の種類によって受け入れられる曲調に変化がある、という話。毎度くどいようだが、Flavor Of Lifeはテレビドラマの挿入歌としても、着うたとしても秀逸だったから売れた。テレビや携帯電話といった"再生機器"との相性がよかったのだ。


今後は更にこういった変化のバリエーションが増えるだろう。ハイレゾで聴いて初めてその威力がわかる、なんていうサウンド作りも成されるかもしれないし、インターネット・ストリーミングに特化したキャッチーさを狙った楽曲が増えるかもしれない。

ヒカルが敢えてそれを狙ってわざとそういう曲作りをする、という事はなさそうだが、もしヒカルが普段の生活の中で新しいガジェット、新しいシステムで音楽を楽しみ始めたとしたら、その影響はナチュラルに曲作りに反映されていくだろう。

Kuma Power Hourで少し物足りなかったかなと思うのがその点だ。ヒカルが普段どんな状況で新しい音楽と出会い、どんな再生機器で音楽を楽しんでいるか、という点への言及が少なかった。次回があるならそこらへんの話も突っ込んで聴いてみたい。

でもまぁ、想像はつくか。以前のようにワークアウトしながらとか電車に乗る時とかに聴いているのだろう。Show Me Loveなんかもしかしたらボクササイズする時のBGMとして利用していたかもしれない。それが後に映画「あしたのジョー」の主題歌になったとすれば出来過ぎな話だが。

ヒカルは今でも自動車の運転はしないのだろうか。音楽に親しむのは運転中/乗車中という人は意外に多い。というかかなり多い。CDが売れなくなった理由のひとつに「若者のクルマ離れ」もあるんじゃないかと勝手な事を考える。もしドライブが趣味になったりしていたら、それに合う楽曲を作ってきてくれたりするかもしれない。

再生機器が小さく手軽で力強くなってゆくと、どんどん音楽が生活の中で身近になっていく。トイレに行く時でも、お風呂に入る時でも。散歩に行ったり買い物したり。わざわざそんな時にイヤフォンなんてしないよと思うものだがコードレスだともう最初っから身に付けていたりするので煩わしくなかったりで…って私の話はいいや(笑)。


つまり、今後ヒカルが(もうそろそろ32歳になるが)どういう音楽の楽しみ方をしていくかで曲調が変わりタイアップが変わり販路が変わりプロモーションが変わりリスナーが変わりファン層が入れ替わる。結構重要な話なのだ。ヒカルが高音質にこだわればそういうファンが増えるだろうし、手軽さや気軽さに傾けばそういったものを好むリスナーが増えるだろう。当たり前過ぎる程当たり前の話だが、だからこそ押さえておきたいポイントなのである。

…結論としては、「だからKuma Power Hour復活希望!」かな? これも別に理屈をこねくり回さなくても、当たり前の事でした…。