無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

前々回の続き(現状認識おさらい)

アイドルにしろアニメにしろ、現在のコンテンツ購買市場を支えているのはかつてはオタクと呼ばれていた層だ。いや今でも呼ばれてはいるが、昔と異なるのはサブカルチャーとしての立ち位置を見失って市場のメインカルチャーになってしまっている点だ。

秋元康劇場をはじめとしたアイドルコンテンツは、本来メインに対するカウンターカルチャーで、彼らがテレビ新聞雑誌などの全国的情報網を押さえているのなら、こちらは「直に会えるアイドル」というコンセプトで行こう、というものだった。最初っから不特定多数というよりは、わざわざ足を運んでくれるマニアを相手にしていたのである。"誤算"だったのは彼らの高単価と頭数で、あんまりにも巨大な市場を単独で形成してしまったものだから、AKB等のトップグループは先に挙げたテレビ等の媒体をも浸食した。しかし基本的な構造は昔と同じままなので、相変わらずメインはオタク相手の商売である。

うっすらと広がる、アイドルコンテンツに対する「気味の悪さ」は、こういった歪な構造に由来する。つまり責任は、メインカルチャーの不在である。そんなものがもともとあったのかというそもそも論にも意味があるが、取り敢えずそういった共同幻想がなければ、秋元康劇場に対する嫌悪感のようなものは説明しづらいだろう。

その"メインカルチャー幻想"にどれくらい乗っかっていくかが課題である。極端な話、宇多田ヒカルの場合ですら、既に築き上げたファンベースを相手に単価の高い商売をした方が"儲かる"恐れがある。何が薄情って、2015年現在その"メインカルチャー幻想"を抱いている層が購買行動に出ない事である。16年前は、中身を聴くかどうかの前に、取り敢えず3000円ほど払ってCDを買ってくれたのだ。今はそれはない。映画のBD/DVDなら、まだ望みはあるのだが…。

昨年の様々な"実験"の数々を、梶さんがどう分析しているか。FL15、宇多うた、くまUSB、ハイレゾ配信。勿論名目は"15周年記念"なので熱心なファンがまずは買ってくれてればよいのだが、大事なのはそこから読み取った空気である。レコード会社とて営利企業、より収益の高い方に舵を切るのが基本だ。どんな組み合わせが可能なのか…についてはまた次回かな。