無意識日記々

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昨年はお布施、今年は投げ銭

日本のポップ・ミュージシャンが今後どのような商業形態をとるべきかという前回の話の続き。

毎度言っている通り、"Pop Musician"にアマチュアはない。Popsをやる以上、目指す規模は兎も角"誰かに売る"プロセスは必ず要る。それが揺らいでもう10年位経ってるのかな、今の日本では。

ご存知の通り、配信では十分な利益は上がらない。CDの値段の殆どはレコード会社と小売店の取り分である。CDから配信になったら、材料費や製造費や流通代が省かれるから安くなるだろう…というのは全く違う。それらの値段は消費税がちょっと変わったら吹っ飛ぶほどの値段でしかない。せいぜい、3000円だったのが2900円になるかも?という程度だ。実際にはそこまですらいかない。配信があれだけ安くなっているのは、単純にレコード会社の取り分を減らしたからだ。

彼らの取り分というのは早い話が制作費と宣伝費の回収なのだが、まぁここがおおざっぱでわかりにくいから中間搾取だの何だの言われる訳だ。

昔はそれでも皆3000円のCDを買っていた。今や割高感しか残らない。確かに、買う気は起こらんよな。

ではどうする? 私は逆に「値段を上げる」のも手だと思う。

アニメのBD/DVDは物凄い値段設定をしている。2話収録50分で6000円とか7000円とかとる。単価が高い為、5000本も売れればヒット商品と言われる狭い世界だが、ここでのミソは「それでちゃんと(なんとか)業界が回っている」事だ。先程触れたレコード会社の取り分、制作費&宣伝費が円盤の売上で基本的に賄え(てる事になってい)る構造になっている。

買う方もわかっているのだ。1時間足らずの映像に6000円も払うのは割高だと。それでも買うのは、大概においてその作品の続編の制作を願っているからに他ならない(皆が皆そうではないですが)。いわば、次回作への"出資"として円盤を購入している訳だ。

その意味において、消費者としての"意識の高さ"は音楽ファンよりアニメファンの方が遥かに高い。"買い支える"という表現が好んで使われる所以である。

これは、いわばレコード会社という既存の企業形態を利用した擬似クラウド・ファンディングなのだが、これをミュージシャンにも適用できないか。CDの値段を5000円などに上げ、数千人規模の"買い支えたい人たち"をアテにして音楽を作るのである。これが可能かと言われるとやはり難しいか。音楽ファンはそこまで熱心ではないかもしれない。

専門のジャンルの特定のミュージシャンならそういったシステムも扱えるかもからないが、ポップ・ミュージシャンには無理な相談か。ポップスは"薄く広く"なのだから、5000円で5000人に売るより500円で5万人に買ってもらった方がいい。

しかし、現実はというと、多分、5000円で5000人に売る方が500円で5万人に買ってもらうよりカンタンなのだ。深夜アニメも実際、円盤が買われそうな作品に傾向が偏っているし、でなければ制作委員会に出版社が出資しているケースなら原作のラノベや漫画を売る為、という体制をとっているかだ。音楽も、例えば極端な書き方をすれば、5000人には5000円でハイレゾ音源を配り、5万人には500円でMP3を、なんていう事があるかもしれない。わからんぞ。

問題なのは、先程から仄めかしている通り、少数の"出資者"をアテにしていると、そもそも音楽が"Pops"になるのかという疑問が出てくる。大体、音楽にそれだけお金を出せる人は一般人とは異なる感覚の持ち主だ。そうとは限らないが、音楽にも極端なこだわりがあるかもしれない。少なくとも、バランス感覚があるかといえばどうだろう?となる。彼らの声に耳を傾け過ぎると、もしかしたら、5000円5000枚は完売しても500円5万枚は売れないかもしれない。Popsでなければそれは「少数の熱狂的なファンが買い支えるミュージシャン」という事で済むのだが、いやはや、因果なものだ。


昨年の"実験"の数々は、ヒカルに「買い支えそうな人々」が居るのか、居るとすればどれくらいかを推定するのに好材料だった。果たして結果はご覧の通りだ。


両輪が支え合うのがいちばんいい。コアなファンが沢山送金し、ライトなファンはちょびっと送金するか、少しばかりカウンターを回したり。昨年はコアなファンが活躍(?)できたので、今年は是非「ライトなファンがお金を出すかカウンターを回す」戦略をEMIレーベルには見せてみて欲しい。そういうのが幾つかあってからなら、ヒカルもきっと復帰し易くなっている事でしょうて。どないでしょ。