無意識日記々

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祝開通16周年

Message from Hikki が"開通"して今日で16年になる。最近は専らTwitterメインで、節目の長文以外はこのページに書く事もなくなってしまったが、昔はあらゆる意味でこの"メッセ"が主役だった。冗談抜きにここを中心に世界が回っていたと言っても過言ではない。曲がどうのライブがどうのという話もまずはMessage from Hikkiが動いてから、だった。

書かなくなってしまったのは…今のところ、"たまたま"なのかも、しれない。人間活動宣言からTwitter開始、そしてすぐにアーティスト活動停止という流れなので、その時点(2011年1月)でメッセが止まったまんまでも不思議ではない。2013年の事は、一生に一度あるかないかの出来事だったのであそこに書くしかなかっただろう。

つまり、今後もメッセが稼働するかどうかは結構"未知数"だという事だ。たまたまTwitterならという感じで軸足を移しているだけで、また戻ってくる事もありえる一方、やっぱり今のスタンスのまま行きそうという雰囲気もある。どちらに転ぶかはわからない。

しかしそもそも、今後あそこに書くしかないような長文、メッセージを書きたくなる事があるのだろうか?という疑問は残る。140字以上を費やして何を伝えたい? 大抵の事は呟きひとつで事足りるし、リーチだっとずっとよい。反応だってすぐ返ってくる。そりゃあ、ある程度まではだが、居心地もよいだろう。Webなのだ、新しいシステムの方が優れていなくてどうするというのだ。

ノスタルジックに懐かしむのは私らしくないが、そういう感情もある。だからといって今また急にMessage from Hikkiが復活したら少し戸惑うかもしれない。すぐに慣れると思うけど。

しかしTwitterのせいで、くだけた話が減り、かしこまったメッセージが増える、というのはあるだろう。ある意味それこそ、初期の頃に呼んでいたように"掲示板"の役割―メッセージを張り出して、通りがかった人に読んでもらう形式―に先祖帰りするかもしれない。なんだかそれはそれで、という感じだ。

年齢によるノリの違いもある。若い頃に較べれば間違いなくテンションは落ち着いている。別人じゃないかと思う位だが、確かに、メッセの長文はあのテンションに支えられていた面もあると思うので、今何かを書こうとすると"寄稿文"みたいな体裁になるかもしれない。まぁ、わからんわね。

しかし何より、我々が「メッセージを送りたいと思われる人々」でないと話にならないよね。話は、それからだ。