無意識日記々

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黄昏の時代の始まり

先週の続き。スキマスイッチがMCの内容で炎上したというニュースを読んだ。詳細については知らない。…と、いうのが普通である。日々ニュースを読む中で、それ以上に突っ込んだ"調査"をする人なんて、そうそう居ない。

果たして、このニュースはどこまで事実を的確に伝えているのだろうか。そもそもこんな出来事本当にあったのか? このレベルから疑わなければならない、としたら、相当重傷だよね、という話である。

今に始まった事ではない。それはわかる。しかし、限度というものがある。今の状況はそれを超えてしまっているのではないか、という懸念が現実味を帯び始めた。

考えてもみて欲しい。ヒカルのライブでのMCが取り上げられる。何ら事実と関連がない噂が一人歩きを始める。ここからだ。HikaruがどれだけMessageやTweetで誤解を解こうとしてもそちらは全く拡散されない。記事にもならない。歩き始めた誤解は走り始めて辺りを覆い尽くし、それが事実とされ定評になり活動を蝕んでいく。この、"第二段階に歯止めがなくなった"かもしれない事態を憂慮しているのだ。

果たして。まだわからない。しかし、スポーツとか文化とか科学とかは、政治的な意向が挟まれる傾向が他の報道セクションに較べて相対的には少なく、従って真実を追究するにはよりよい環境である筈だ。そこがそうならないとくれば、末期とまではいわないし、まだまだ重傷でもないが、警戒しておいてもいいだろうというのが現時点での見方である。

しかし、現実は厳しい。EMIがレーベルとしてUtada Hikaruを手放す筈もなく、従って今までの販売戦略から逸脱する事は考えられない。本来なら、活動の拠点を日本以外の国に移すか、日本ではインディーズとして活動するか、そういった選択になると思うのだが、うーん、無理だな。

何といっても、今私の抱いている"危機感"がただの"杞憂"とほぼ区別がつかない事が第一のネックである。これが本当に杞憂に終わるには、Web上での意見交換システムの世代交代が必要だと思うが、まだその時期でもなさそうだ。外向きのTwitterFacebook、内向きのLINE等、まだまだ元気一杯である。寧ろ、一般的な普及はこれからだろう。

2ちゃんねるを"メジャー"にしつつあるのはまとめブログ機能だ。あれを基にしてオピニオンや騒動を察知する流れが一部で出来つつある。もともとにちゃんねるは高齢化が進んでいたのに2015年に至って影響力が増すだなんて事になったら浮上した時点で老害確定だろうな。皮肉な事に。


なんだか、復帰のタイミングがまた無くなってしまったように、みえている。宇多田ヒカルの居場所はどこ? どれだけ小さくても自分で作り始めるよりないと思うが、それが許されない位にこの看板は大きい。やれやれ、負け戦とわかって挑むのもやる気が出ないだろうに。どうしたものか。2015年からの"黄昏の時代"にどんな生き方が望ましいのか、模索は始まったばかりだ。