無意識日記々

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甘えられてなんぼ

「甘えてなんぼ」と23歳になってから歌った(いや録音時は22歳だろうけど)ヒカルは、当時自他共に認める(?)"甘え下手"だった。出来るだけ両親に迷惑をかけないようにと生きてきた成果(??)だが、甘えるのが下手ならばたぶん甘えさせるのも下手なんじゃないか。

今や宇多田ヒカルは"姐さん"ポジションに遷移しつつある。年齢的にもそうだし、絶滅寸前の"J-pop世代"最後の良心のようにも思われている。シーンで最も頼もしい性格であろう椎名林檎様にすら復帰を熱望される、いわば最後の砦。一言でいえば皆ヒカルに甘えたがっている。

恐らく、ヒカルはそういった状況に困惑するだろう。そう推測するのは、ヒカルが期待に応える自信が無いとかいうのでなくて、ただ単に人から甘えられるのに余り慣れていないから、だ。

物事を仕切るのはうまい。本人や三宅Pの証言によると、14歳の頃から現場の段取りを取り仕切っていたそうな。そりゃそのままプロデューサーになる筈である。そんなだから映像監督にもなれたし(映像監督というと映像の知識や技術の有無にばかり目が行きがちだが、寧ろ"監督能力"の方がクリティカルだろう)、WILD LIFEでは見事に座長を取り仕切ってみせた。そういう意味での頼もしさは既にある。

しかし、他人から甘えられる、他人に甘えさせる、となるとニュアンスが違ってくる。一言でいえば「もう、しょうがないなぁ」である。この一言を、ヒカルはたぶん言い慣れていない。

これから(いつになるかわからないが)光が子育てを始めたとして(既に産んで育てているというウルトラCもそれはそれでアリだ)。赤ん坊は母親なり誰かなりに甘えまくる存在である。10ヶ月でのこのこと顔を出してきて、それでいて自分1人では一切何も出来ない。草食動物なんていきなり立って歩き始めるんだぞ。そういう存在を相手にする事は、ペットを飼った事もなさそうな(ネコは誰が世話してたんだろ?)ヒカルにとっては新しい経験になる筈だ。

そしてその、「甘えたり甘えられたり」の関係に慣れ親しんだら、それこそ仕事上の意識にも変化が現れるかもしれない。「人に甘える事なく自分の力で」という考え方で成長していこうとしても、「人から甘えられる程の強さ」までは身に付けられない。どこまでいっても1人で強くなっていくだけであり、それなりの限界もある。

シンガーソングライターだから、そういう孤独な成り立ちでもいい気がするし、事実お母さん/藤圭子もそういう"ひとりで強さを"という生き方を選んだようにみえる。しかし、ヒカルの場合、「戻ってきて欲しい」という甘えに甘えた我々からの期待という、お母さんには(たぶんあまり)なかったファクターが絡んできている。だから、あとはヒカルの意識次第だろう。孤高の存在として孤島から作品を提供し続けるか、シーンのど真ん中にまた飛び込んでくるか。プロモーション戦略は、そこらへんで決まってきそうな予感もしている。