無意識日記々

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甘えてなんぼと恩を買う

人に心配をかけない、という事と同時に、いざとなったら人に頼る、甘えるというのも大事なのだが、もしかしたらHikaruにとってはそっちの方が(人に心配をかけるより)遥かに難しいかもしれない。

仕方のない面もある。特に仕事上においては、Hikaruと同レベルのミュージシャンが周りに居ない為、あらゆる決断は自分で行わなければいけない。そんな立場にずっと居れば、甘え下手になるのも無理はない。いや、元々そういう性格だったからそのポジションに収まっていったのかもしれないが…。

その結果、Hikaruは周りに恩を売ってばかりで、なかなか"恩を買う"という事をしない。そういう人間関係が面倒臭いから私は…という感じになっていたから人間活動に入ったのだろうから、人に甘える事も覚えた方がいいんだが…こればっかりは難しいな。

具体的には、This Is The Oneで示したように、自身は詞とメロディーに専念し、サウンドプロダクションは他の人に任せる態勢を、今後も試してみる、というのもあるし、遂に桜流しで実現したように、作曲から他の人とコラボレーションするというのもよい。ある意味共作は、人間活動の成果の一つといえるかもしれない。よりによって私小説的な作品であるEVAで…

…と書こうと思ったのだが、旧世紀版は兎も角、新劇版EVAは必ずしも私小説的とはいえない。内容を置くとしても、常に外に向かってはたらきかける状況が、社会現象として持続している為、作品の影響力のもつ社会性を無視した作品になり得ない方向に進展している。難しい事を書いているが、となりのトトロを深夜の単館上映してもウケないよね、全国でマスに向かってアピールしないと意味ないよね、みたいな話です。

だからといって庵野総監督の作家性が損なわれているかというとそんな事はなく、彼の視野に自然に仕事仲間、ファン、大衆が層になって入っているという感覚だ。一言でいえば頼もしい。賛否両論のEVAQを経ても尚、EVAに対する感情は心配よりも期待の方が圧倒的である。嗚呼、大人になったんだなぁという感慨。今は確かに時期が悪いとしても、Hikaruも出来れば、こんな風に人から"全幅の信頼"を受けつつ、自分らしさを強くしていく方向に成長していけたらな、と思う。でも一方で"桜流し"は…という話は長くなりそうなのでまた次回。