無意識日記々

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鬱Q

昨日付の庵野監督の声明は衝撃だった。読み方次第では、鬱で自殺未遂にまで追い込まれたらしい。Qの制作後に続編に頭を悩ませる姿までは想像できたが、1年もスタジオに行けなかったとは。考え込んでしまった。

本人は、魂を削って作品に取り組んだ為、と分析しているが、それだけではないと思う。それがベースにあった上で、鍵はEVAQの作風自体にあったものと踏んでいる。

宇多田ヒカルがテイク5を制作中に精神が不安定になった話はこれまたヒカル本人が述べているが、それもこれもテイク5という楽曲自体に厭世的な要素が含まれていたからだ。結局は最後の『生きたい』の一言に救われる訳だが、楽曲の世界に没入するあまり、作曲者はその楽曲に取り込まれる…いや、喰い殺されるリスクも出てくる。現世では負の感情と見なされる内容を含んでいたとしても、作品とは常に超越的なものだから。

斯様にEVAQの世界を"引きずって"鬱に陥った庵野監督が帰還したのは喜ばしい事だ。そして、この帰還の物語はそのまま彼の次回作(EVAなのかゴジラなのかはわからないが)に反映される筈である。自らをEVAQという鬱々しい物語に同化させてまでEVA劇場版という作品を"直に理解"してしまった彼の生み出す作品の説得力には誰も到底かなわない。そこに生まれる物語は実体験の表現であるのだから、リアリティの塊であろう。魂を込めるとはそういう事だ。アニメなんてと言う人もアニメこそがと言う人も、その純正王道な純文学の系譜に是非触れてみて欲しい。彼は生き残りさえすれば、傑作を必ず生み出す。いつになるかなんて些事である。

さてその些事に振り回されるのが、映画の主題歌を受け持つ人のファンの皆さん、即ち我々だ。それによって新曲の聴けるタイミングがころころと変わっていくのだからたまったものではない。当然、ヒカルは庵野監督の今回の声明に激しく共感しているだろうから気合いが再注入される事や彼を擁護する事はあっても不機嫌になったりはしやしないだろう。ならばまぁ気楽な立場の私たちは「ごはんまだ〜?」とこどものように囀っておく事にしよう。逆にいえば、いよいよ見通しがつき始めたのだから。ヒカルには、是非庵野監督の「復活」の後押しをお願いしたい。貴女なら、それが出来る筈だから。