無意識日記々

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今一度契約形態についての憶測話

この日記は今までのHikaruの業績を振り返って讃えるエントリーとこれからのHikaruを考えるエントリーの二種類で構成されてきているのだが、その都度どちらの話をするかは大体その日の気分や成り行きで決めている。たま〜にシリーズものをやろうと思い立って、例えば先週一週間まるまる歌詞閲覧回数ランキングについて語ったり、過去にはEXODUSの歌詞について丸々3ヶ月間講義(?)したりという事もあったがそういうのは例外的で、大抵の内容が中途半端にやりかけで終わったり予告だけして一切手をつけなかったりといった感じで放置されている。

こういうのは、私の性格によるのだろう。予定を決めてその通りに行動したりというのは、何となく力が入らない。何故と言われても結構わからないのだが、取り敢えず今まではそうなんだろうと思ってやってきた。次どうなるかわからない方が筆が進むのである。

ヒカルの場合はどうなのだろう。「いきあたりばったり」という標語(?)に端的に表されているように、未来に保証はない方がと突き進む一方、締め切りとか打ち合わせとかが好きだという一面も見せる。予定を決めて自分を(時には無理矢理)そこに押し込む、というのも時には必要だと思っている節もある。

宇多田ヒカルというとどうしてもビッグ・プロジェクトで、動き出すとなると何ヶ月も前から入念に計画が練られていて、その為には何年も前から…と思いがちだが、今の状況はどこらへんになっているのだろうか。昨年来のスタッフ陣の発言からすると、今振り返れば、彼ら自身の期待や願望も込みで、復帰が近いニュアンスが含まれていたのだけれども、それすら我々の"気分"と大差ない雰囲気であって、実際のところは結局「わからない」という事なのだろう。

スタッフですらそういう、ファンに近い目線で居るというのは、恐らく契約形態が他の邦楽アーティストにないタイプのものだからだろう、という推測を昔からしている。例えばそれは、「1年に1枚のアルバムをリリースする」だとか「5年3枚」とか、年限と枚数を組み合わせた契約を、通常の邦楽アーティストたちが結んでいる一方、ヒカルの場合は「無期限10枚」のような、年限を区切らない形態になっているのではないか、その為、スタッフとしても次の制作がいつ始まるかは、最初の最初は把握しきれないのではないか、そういう風に解釈してきた訳だ。

無論ヒカルも自分の影響力は知っているし、また、恐らく、新しい音源か否かはさておき、宇多田ヒカル名義の作品は17年連続でオフィシャル・リリースがあるなど、「毎年リリース」という縛り自体はあるのかもしれず、その為にスタッフは毎年頑張らないといけないようになっていて、それもまた復帰への期待を高める原動力になっているのかなと、思ったりもしている。

いずれにせよ、もしかしたら、まだ現時点にあっても復帰に関しては今まで通り「全く白紙」である可能性も捨て切れず、従って「まだ慌てる時間じゃない」のかもしれない。そこをどれだけ気楽にやっていくか、果たして、今年のオフィシャル・リリースは新曲になるのか企画モノになるのか、まったり期待しながら待つ事にしよう。