無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

同級生か先生か

嗚呼、夜10時か。Interfmにダイヤルを合わせなきゃ…。(←幻覚が見え始めている模様)

それは置いといて(置くんかい)。雉も鳴かずば討たれまいと言いますが(落語みたいな導入部だな)ヒカルが最近全く発言しないので、もう2ヶ月になるかな、叩かれる事も無く平穏である。ネットの話ね。まぁこれWebブラウザで読むBlogだからそゆのは前提みたいなもんだけど。

最近は炎上がどうのというのの餌食になるやならぬやで有名人の多くは戦々恐々としているだろう。この場合の戦々はおののくという意味だろうな。やはり最善手は沈黙だなぁと思わざるを得ない。たまに2ちゃんにもスレが立って昔コイツは800万枚売ったんだ、とか話題になるが、まぁもう大体定評が出来ていて、それに波風立てるような事をしでかしていない以上、何かが動く訳もない、わな。

そういう意味では"いい感じ"なのだが、はてさてそれは"忘れ去られる恐怖"に気付く事が出来るだろうか。どうにも、我々にとっていちばん縁遠い感覚な為疎くなりがちだが、新年度を迎えて様々が切り替わっていくのを目にするうちに、嗚呼、もしかしたら忘れ去られ始めているのかもしれないなと少しずつ感じるようになった。

そういう事か、と少し合点がいった。若い世代が「知らない」と言うのはそれが古いからではない。その時の大人が話題にしているかどうかでしかないのだ。ザ・ビートルズが古くならないのは、皆がまだ話題にしているからである。彼らの場合、ポール・マッカートニーがずっと現役というのがいちばん大きい。彼が活動をする度にまたザ・ビートルズの曲がラジオから流れ若い人たちに届いてゆく。よく出来ている。「最近の若者は」というのは大抵その時代の大人の都合でしかないのだ。

大きな流れは抗えないだろう。そのうち、本当に「宇多田ヒカル? 誰それ知らない。」と平気で言う世代が出てくる。読者の中には「いや既に出会っている」と言う人も居るかもしれない。

抗う方法は簡単で、ヒカルが元気に活動して大人が話題にする事だ。若者はそれにある程度ついてくるだろう。今はそれがない。まぁ仕方ない。

で、折角なので、違う方向から考えたい。次に復活する時に「若者の音楽」から入ったらどうなるか。例えばエヴァは、もう中年以上の為のコンテンツというイメージと、新劇版から入った若い人たちの為のというイメージの両方が混在している。「あの宇多田ヒカルエヴァの主題歌をねぇ」と驚く大人たちと、自分たちの世代の古くて新しい作品の主題歌を歌う人としてヒカルを認識する若者たちと、両方が居るのだ。

前々から指摘しているように、コンテンツの供給者は、ファンの年齢が上がるにつれて対象年齢が上がる、従って"ずっと同じ人たちに支持されてゆく"生き方と、小学3年生なら小学3年生を、毎年々々ずっと相手にし続ける生き方と、両方がある。ありていにいえば、同級生は前者で先生は後者だ。

ヒカルが、もし、今、いい具合に忘れ去られているとしたら、同級生を選ぶか先生を選ぶかのチャンスである。永遠の若者たちにずっとラブソングを歌い続ける歌手になるのか、32歳なら32歳なりの歌を歌うのか。急にイメチェンするのとは違い、もし忘れられ始めているならば、こちらが先手をとって「宇多田ヒカルはこういう人です。でした。」と自信満々に言い切ってしまえば、「あぁ、そういえばそうだったかもしれないな」となってくれるかもしれないのだ。流石にそれは都合がよすぎるが、一端考えて、或いは自分の作った作品をその観点から見直してみて、さて自分は一体どっちなんだろと立ち止まるのは有益だ。タイミングはある意味今しかない。千載一遇のチャンス、うまく利用して欲しいものです。