無意識日記々

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対話の時代

で、ヒカルの場合創作における他者との関わり方は、Pop Musicianである以上想像力に頼るしかない。今は昔と較べてインターネットの発達によりファンからのリアクションの量が激増しているからより密度の濃いコミュニケーションが可能になっているが一方で歌でメッセージを出すという枠組み自体の価値が下落している。皮肉といえば皮肉なものだ。

それに、リリースまでのスパンが長い。未だにCDリリース曲に関しては5週間の間隔が必要だ。ビッグ・プロジェクトならそれでもいいが、出来たらすぐにアップロードしてその日のうちにアクセスランキングに反映されるようなネットのサイクルと較べれば、随分のんびりしたものである。

宇多田ヒカルは"図体がでかい"為、情報を遮断してぐぐっと溜め込んで一気に敷衍して、というサイズの話になっている。ある意味市場との対話が旧時代的なので、昔からのファンは安心だ。そういう意味ではこのままアナクロに突き進むのもいいかもしれない。

一方、あっさりと若い世代とのコラボレーションに走る、という手もある。評判はよくないだろうが、結果さえ出せば大丈夫だろう。もうそんなに若くないけれど(失礼だな)tofubeats世代とならリアリティがあるか。ヒカルならあっさり方法論を吸収してしまえるだろう。"使える"かどうかは別にして。

更に若い世代相手は本当に難しい。スマートフォンによる無料文化…動画や音楽といった細かい分野があらためて"地上波テレビ化"した訳だ。地上波テレビが普及した頃、旅芸人や劇団や映画界や、兎に角多くの娯楽産業従事者達が多大な影響を受けた訳だが、それと同じ事がインターネットで起こっている。この10年、マネタイズを合い言葉に何とかコンテンツが商売にならないかと悪戦苦闘が続いているが、通販と競売の規模には全く及ばない。地上波テレビが15秒CMという手法で、本来の本質である通販の規模を押さえ込んできた(実際は通販番組の割合に規制があるらしいが、現状ではその上限よりずっと下だろう)ように、インターネットでもコンテンツを無料で提供するシステムに"市場"をなんとか紛れ込ませる必要が出てきている。YoutubeにCMが入るようになったここ数年の話である。

HikaruはUMGという"旧世代の遺物"の象徴みたいな会社と契約を結んでいる。ある意味、我々旧世代を相手にしながら漸減していく総数を一人あたりの単価を上げていく事でカバーするフェイズに差し掛かっている。FL15企画などはその先鞭・先遣隊だったが、その結果はどうだったか。また、宇多うたアルバムは各世代との関わり合いの中で宇多田ヒカルがどういう位置付けなのかを測れる企画でもあった。井上陽水からtofubeatsまで約二世代分くらいの"見方の違い"の展覧会だった。それもまた、チームには参考になっただろう。

事態は刻一刻変化している。去年企図した戦略が今年通用するとは限らない。こうやって毎年様子を見ながら「今復帰するならどうするか」を考え続けねばならない。本格的な対話の時代の到来、なんだろうなきっと。