対話の時代、と書いて思い出したのはピンク・フロイドの1994年作「THE DIVISION BELL」だ。邦題を、その独特なアートワークから「対-tsui-」という。1995年頃からインターネットの時代が始まった事を考えると"Keep Talking"と訴える本作はまさに先見の明だった。あれから20年経って本作のアウトテイク集「永遠-towa-」が発売されこの20世紀最も偉大なバンドは静かに終焉を迎えた訳だが、なんだかつまりこの20年はただ技術の発達を待っていただけで、思想的には殆ど進歩していないのではないかと思わせた。
この国に居るから「停滞の20年」と感じていたのかなと思っていたが、どうやらこれは世界的な潮流らしい―そんな根拠もない事を考えてしまうのはピンクフロイドの偉大さ故だ。
フロイド無き後、ロックの世界で知性を司るのは誰なのか。未だに思い浮かばない。それはそれでいいのかもしれない。プログレッシヴ・ロックの歴史が終わったと考えればよいのだ。ロックは深く考えてたって仕方がない。チャック・ベリーをみればよくわかる。
ちと無駄話が過ぎたかな。Hikaruの知性は折り紙付きだが、今その受け皿となる思想は彼女にあるのだろうか。日常生活の送り方でも、音楽創作に対する態度でも、何か、あの頭の回転の早さに見合った思想的背景を携えているのだろうか。
私はたぶん、「音楽を作るのに考えてちゃあいけない。意義なんてない。ただ生むのみ。」と考えている。音楽家として進むなら、ただいい音楽を作る事だけだ。「ジャンル分けについてどう思うかって?世の中に音楽は2種類しかない。いい音楽とそれ以外だ。」と最初に答えたのは誰だったか。本当にそれだけだと思う。料理人がただ美味しい料理を作るように、音楽家もただいい音楽を作ればいい。いや、(貶めるつもりはないが敢えて例を出せば)「美味しんぼ」みたいに人を説得したり立ち直らせたり問題を解決したりといった"付随するもの"をメインに考え始めると倒錯になるのだ。もっと集中してしまえばいい。そして、それもまた生き方の表明であるから思想信条といえるだろう。
ヒカルも、自分の音楽が何かの役に立つのをこの上なく喜ぶ。リスクの時だったか、ラジオでヒカルが自分の曲が役に立った事を大層喜んでいた。また今度探しとこ。いつだったかな。チャリティーなどに加担できるとなれば、断る理由はないだろう。99年の武道館から嵐の女神に至るまで、そういった加担はヒカルを非常に勇気付けてきた。
しかしそれはメインではない。本当に世の恵まれない人たち(他にいい言い方ないかなー)に本気で報いようとするなら、歌なんか歌ってる場合じゃない。医者になるとか農業技術者になるとか軍隊を率いるとか、もっと直接的に影響を与えられる手段は山ほどある。歌は本当に、遠回り、回り道だ。
ヒカルがそこまであっさり考えられるだろうか。32歳とかになってきたら、もう、何というか、自分の中で決着がついてる筈だ、と希望的観測を交えながら思う。この20年思想的に停滞していたとしても、ヒカルは名曲を書き続けてきた。それでいいと思う。これからも、それがいいと思う。
ただ、ヒカルは才能に溢れている。ただ音楽家で居る必要もない。他にもいろんな事をやって才能を開花させたらええ。でも、そうはいうけれども、人生はただいい音楽を追い求めるだけの為だとしても、短すぎるように思うのだ。一方でヒカルは今年の誕生日に『人生ってけっこう長ぇな…』とも呟いている。「まだあるのかー」という感じなのかな。だとするとここからは『暇潰し』だ。遠慮無くいい音楽を追い求めればいい。きっと、永遠の生命(とわのいのち)をもってしても永遠に追いつけないさ。