無意識日記々

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ゲーム性

前も少し触れたが、マルチメディア時代では受動的なコンテンツは出来るだけ操作は少なく、能動的なコンテンツは出来るだけゲーム性を高めて難解な操作を"仕向ける"事が重要だ。

如何に有用なコンテンツやガジェットを用意しても、準備が煩雑では魅力は伝わらない。

音楽ストリーミング・サービスの概要を文章で読んでも、色々と設定が複雑で面倒臭そうで手を出したくならない。私が前に提唱した「チャンネルを合わせたらいいねボタンを押すだけ」みたいなシンプルさまではまだ遠い。まぁ勿論難しいのはわかっているんですが。

それが無理なら、様々な選択を消費者に強いる為にも、操作自体にゲーム性を持ち込むのが基本である。いい例がタイピング・ソフトだ。顧客に「キーボード入力スキル」を身に付けさせる為にあの手この手でプレイヤーのやる気を出させ、遊んでいるうちにいつのまにかブラインド・タッチが出来るようになっている。あの感覚だ。

つまり、ゲーム性とはモチベーションの心理学なのである。操作が簡単(で成果も単調)なら退屈なだけだし、難しすぎても放り出してしまう。優れたゲームというものは絶妙の"ゲーム・バランス"で難易度を調節し、“少しばかり挑戦すればそれなりの新しい成果が得られる”ポイントを暴き出す。勿論プレイヤー毎に習熟度が異なるのでそれにどう合わせていくかも重要だ。操作主義的に言えば、優れたゲームとは「やりたくなるゲーム」の事だ。消費者がプレイしたいと思うゲームバランスを提供できる事をゲーム性(が高い)と言う。

この考え方を、種々の場面に応用していくのがこれからの課題だ。ストリーミングサービスも、何かやっているだけで楽しくなってくるようなチュートリアルを通していつのまにかパーソナル・カスタマイズが進み、気がついたら自分好みの音楽が周りに溢れている、みたいなのが理想なのだ。

Hikaruがアルバムを制作中と言った時、果たして若いファンは、12曲1時間という長さの音声を提供されたとして黙って最後まで聴いてくれるだろうかという不安が頭を過ぎった。我々年寄りはいい。慣れている。今の子は5分の動画を次々とスキップしていくのが普通だ。いや6秒なのかな? それはいいんだが、飽きたらすぐに他の選択肢が隣にあるのがスマホ世代だ。1時間、しかも音のみのコンテンツにどこまで面白味を感じてくれるのか…。

なので、例えば一曲々々をアプリでリリースし、リリック・ビデオとリンクさせてタップリしながら聴くとか、そういう工夫があってもいいかな、なんて思ったりもする。俗に言う音ゲーのようなものがHikaruのシリアスなトーンに合うかどうかもわからないし、「若いファンに阿っている」と我々年寄りからガッカリされる恐れもある。実際の所、どういう方法論がいいかはわからない。

くどいようだが、我々年寄りは普通にCDで1時間フルアルバムを聴けばよい。CDプレイヤーを持たず、音楽は大抵動画サイトという層にも聴いてもらいたかったりするなら工夫が必要だろうな、という話だ。そして、そういった層は今どれ位の分厚さなのか想像もつかない。何万なのか、何十万なのか、何百万なのか…。若い人たちにはまず「アルバムを聴く楽しさ」自体を学んで貰わないといけないかもしれない。過ぎた危機意識かもしれないが、Hikaruの歌の魅力の普遍性に敬意を払うなら、どうしたってそんな事まで考えてしまうのであった。