無意識日記々

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Dreamer Deceiver

「客を選ぶ」というのは、本来"Pop Music"を標榜するアーティストには無理な相談である。不特定多数の大衆を対象とした音楽。「いつどこで誰に聴かれるかわからない」事を覚悟の上で作るのが暗黙の前提である。

しかし、「空気」を作る事は出来る。それをよしとするかどうか。常に「ひとりでも多くの人に」という態度でいるかどうか。

ヒカルについて言えば、"サングラス"や"ドラマ"はハナから万人に受けるとは想定せずに作った筈だ。シングルカットも考えてなかったろうし事実しなかった。"Passion"も多分ダメだろう、しかし、ゲームをした人にはわかるはず、という位のスタンスでのシングル・リリースではなかったか。

この様に、一部「客を選ぶ」のを前提とした楽曲を作っているのは間違いない。が、完全に閉ざしているというよりは、そういう時もあるさという程度で、全体の空気を変える程でもない。基本はやはり「誰でもウェルカム、お気に召しますように。」である。「わかる人にだけわかればいい。」というフレーズは、ヒカルの好みではないのではないか。

で問題なのは今、その"開いた態度"で勝負できる市場が日本に無い事だ、という話は当欄で120回くらい(ちょっと盛った)書いてきた事なので繰り返さないが、しかし、今は、望ましくないとはいえ、何らかの意味で客を選ばないと、佐野研さんのようにスキャンダルの餌食となりかねない。マスメディアを使うならもうこれは宿命、宿痾である。

特に、今後はここにマスメディアとして"インターネット"が加わる。これが最もタチが悪い。新聞社やテレビ局の虚偽報道に怒り心頭の皆さんはもう既にインターネットから得た情報の幾つかに騙されていると考えて差し支えない。新聞社や出版社やテレビ局にいちいち怒れるのは彼らがそういうポジションに居ると思っていないからで、彼らが正しい事を基本的に伝えてくれるという前提を共有しているからだろう。…えぇっと、もういいですか。

私もきっと、幾つもインターネット上の情報に騙されているに違いないが、自力では気づけないのだからそれがどんなであるかもわからない。違いがあるとすれば、「騙されている」という危機感に自覚的かどうかの点だけだろう。

そして、卓球世界選手権女子複代表選考の件で強調したように、最早日本語情報圏には情報淘汰・自浄作用が期待できない。生き残った情報だからといって信用は出来ないのである。

諦めるしかない。これはとても大きな潮流である。大事なのは、しかし、気持ちを切らさない事だ。騙されるのが当たり前になっていくからといって、騙す側になってはいけない。物事をよりよくする事は出来ないかもしれないが、それ以上悪くならないように食い止める事はほんのちょっと出来るかもしれない。

さて、ではヒカルはここに於いてどう振る舞えばよいか…という話からまた次回でいいですかの。いや、これについては書くべきかどうかが悩ましいので次回何事も無かったかのように全く別の話題が繰り広げられていたとしても、察して下さい。