無意識日記々

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nothing but a short while

アイアン・メイデンの新譜を聴きながら、「一生のうち後何回彼らのニューアルバムを発売日に聴く事が出来るのだろう」と考えて少し切なくなった。通算16枚目。いつこれがラスト・アルバムになってもおかしくはない。結局、聴いてるうちに彼らの作り出す世界にのめり込んでしまってその切なさは忘れたのだが、歳をとってくるとそういう「もう二度とないかもしれない」事に敏感になってくる。

歳をとらなくても、一期一会は変わらない。生まれた時から総ては一回限りだ。とてもよく似たもの同士を「同じ」と呼んでいるに過ぎない。しかし、それでも、いやそれだからこそ「もうないかも」という感慨はついてまわるようになる。

アイアン・メイデンの場合は、彼らの年齢(1950年代生まれ)を考えての事だが、逆もある。ヒカルより年上のファンは、「最後まで活動を見届けられないかもしれない」という不安が常に纏わりついている。歳が離れていればいるほどその感覚が強い。そういうファンにとっては、この5年はとてももどかしいものだったに違いない。実際、この5年で亡くなった方もいらっしゃるだろう。震災に遭われたなら尚更である。

もっとも、ヒカルにしてみればそれも百も承知だろう。わかった上で敢えてこうしているのだから後は信じるだけである。

なので、歳をとると時間が速く過ぎていくと感じる一方で、一秒一秒の価値は色濃くなってゆく。新しい作品は、老いに対しても若きに対しても「待った甲斐があった」と感じられるものになっていて欲しい。

過去は未来からは変えられない。しかしその価値を変える事はできる。今までこうだったのはこれを出迎える為だったのだと納得がいけば過去は新しく肯定され得る。逆に、如何に楽しい思い出でも貶める事が可能だ。余計な事しなきゃよかったのに、よいままだったのにと言われると、切ない。

美しい思い出のままで、とは誰しもが思う事。晩節を汚すべからず大いに結構。しかしヒカルは32歳。まだまだ先は長い。音楽家としてのキャリアもまだまだある筈だ。レコード契約しちゃってるし。チャレンジをし続ければよい。自分のペースをよく守って。しかし、中には、「これが最後になるかも」という思いと共に新作の封を開ける人も居るのだという事を、覚えておくのも悪くないんじゃあ、ないかな。