無意識日記々

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ぽっと出ポートレート

ヒカルには音楽を書く才能や文章を書く才能に加え、絵を描く才能もある。引退したら欧州の片田舎に居を構えて絵を描いて過ごしたい、なんて言ってた事もあったっけか。表現活動のかなりの部分を占めている。

その割にその画力を自らのアートワークに活用した例は数える程しかない。パッと今思いつくのはFor Youのシングル盤ジャケットくらいなのだが、それとて基本的には在り物の流用だったようだから、となると、SC2のデザインを手掛けた、くらいしかないのかな。それも画力を発揮したというものでもないだろう。

恐らく、いや、十中八九、単純に、音楽作品を完成させた後に余力が残ってあないのだろう。そこからもう一度パンプアップしてアートワークに取り掛かるなんざ確かに無理があるかもしれない。

そんな中でもいちばん頑張ったのはぼくはくまの絵本であろう。簡単な線画の作品だが、リアルなデザインの親子熊と、ぬいぐるみのデザインのままのクマチャンとの対比など、当たり前だが十分に凝った意匠が施されていた。やはり作品に対するこだわりと愛情が桁外れなのだろう。〆切との戦いだった。

CDが買われなくなって、それでも買って貰おうというのなら画集なり絵本なりを付属させれば効果はあるだろう。しかし、ヒカルがそんなものを用意し始めると、もう一枚アルバムを作れる位の手間暇がかかるんじゃあないか。現実的ではない。

ストーリーアルバムやコンセプトアルバムの類なら別である。アートワークまで含めた一品だからだ。アルバムが、一方で、ただの“曲の寄せ集め”になっているなら、わざわざアートワークにヒカル自らがこだわる必要もない。確かに、結局、現実的ではない。


今回は違うだろうが、逆のパターンも考えられる。ヒカルが絵を描いて、その絵に自らがインスパイアされて楽曲が出来上がる、という順序だ。それならアートワークはそのまま「キッカケの絵」としてその絵を採用すればいい。

もっとも、アルバムに関しては、ヒカルの顔をそのまま写したものが大半を占めている。今はアイコン/GUI全盛期、アルバムジャケットもアイコンサイズになる事を覚悟した上でデザインを決めなければならないが、顔のどアップはそういう今の時代にちょうど合っている。

あら、じゃあとるべき方法は「自画像」になるかな。鏡を使って。でもそれはまぁ、今回ではなさそうだ。遠い未来に一度あるかないかじゃあないかな。