無意識日記々

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遠くの恒星のように

昔偉大だったアーティストの評価が後世に伝わる時、過大だったり過小だったりするのはある程度やむを得ないが、やはりある程度参考になる数字が残っている場合は、その過小過大が多少なりとも修正され得たりする。

しかし今のアーティストは、少なくとも日本国内に関してはオリコンチャートが機能しなくなっている為、そのような修正機能が効かない。特に、21世紀初頭以降にデビューしたアーティストに関しては観客動員規模でその影響力を推し量るしかなくなっている。

そのような状況の中で、ヒカルが昔オリコンチャート史上云々だったと唱えて、さてどんな印象を与えるのか、ちょっと見当がつかない。勿論受け取る側によって変わる。チャートマニアとそうでない人では違うだろう。

特に若い人にとってチャートは「日替わりで利用するもの」であったりする。Twitterのトレンドワードもそうだし、ニコニコ動画の人気動画もそう、iTunesStoreチャートもアマゾンランキングも刻一刻と毎日移り変わる。極端な話、その日に話題にするのは何なのかという指標でしかない。

そこに、昔週間チャートでどうだったとか年間チャートでどうだったかとか歴代チャートでどうだったかとか言われてピンと来るのだろうか。「何か凄いんだろうな」という風に、遠い国の出来事のように捉えられてはいないだろうか。

勿論、例えば自分の世代であっても、藤圭子の30週+17週連続アルバムチャート1位ときいても「時代が違ったんだろうな」という風についつい思ってしまう。音楽ソフトがいちばん売れた90年代がリアルタイムだった者でも、いや、そうだからこそ、その数字にリアリティが湧かないのだ。

きっと今の若い層も、First Loveが全世界で1000万枚売ったといっても、ピンと来ないだろう。いや突き詰めればEMIの中の人だって何の事だかよくわかってなかったかもしれないが、あのCDショップの「宇多田尽くし」ぶりを見た人は多少なりともどこかに実感として伝わるものがあった筈だし、あの頃のチャートをずっと見ていた人は、そこまで皆で押し上げてきた上限を一気に突破した爆発力に、きっと唖然としていた事だろう。取り敢えず個々が、それぞれなりの経験から、それがどれくらい凄い事なのかを相対的に推し量る事が出来た筈だ。

しかし今の若い子たちからすれば、夜空に瞬く恒星たちが太陽の何倍、何百倍の大きさだろうと見た目はただの点に過ぎないように、ヒカルの記録も遠くに霞んでいて実感が無いだろう。大人たちが、当時は凄かった、凄かったんだよと興奮気味に語るのを御伽噺のように聞いているだけだろう。

その子たちに果たして「実体としての説得力」を与える事が出来るか否か。ヒカルの実力以外の面も含めて、何がどうなるかを注視していきたい。