無意識日記々

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ラーメン注文したらカレーが出てきた時

「喋り方と表情の作り方(つまり、顔の造形そのものではない)、そして書く文」が好み(のど真ん中)だったからファンになった、という結構ミーハーなヒカチュウの私には、音楽家としてのヒカルを応援するにあたってハッキリとしたアドバンテージがある。それは、特定の音楽性を期待しないで済むという事だ。

例えば、ヒカルに本格派R&Bシンガーとして期待した人たちは「DEEP RIVER」以降の音楽性・音楽的嗜好&志向は受け付けなかったかもしれず、よってやがてヒカルから離れていったかもしれない。また、ヒカルに日本語の歌を期待していた向きにとっては、EXODUSは余りお気に入りのアルバムではなかったかもしれない。逆に、EXODUSのような入り組んだ多彩さを好んだ人は、This Is The Oneは物足りなかったかもしれない。

もっと言えば、日本でずっと活動して欲しかった向きからすれば全米デビューは余計だったし、世界進出こそ悲願という人は何故日本に出戻ってきたのか、行ったり来たりを繰り返すのか、といった不満を持ったかもしれない。

人それぞれである。

が、私の場合、ヒカルには、究極的には何も期待していない。だから何が出てきても喜べる。堪らないアドバンテージだとは、思いませんか。

期待している事といえば、まず健康で生きている事、次にそれを不特定多数に向けて報せてくれる事、更に、楽しそうであれば尚いい。何だろう、友達とか家族とかに要求するような事だ。特定のスキルなどではない。なので、気持ちが離れるとかの事態は今のところ想定していない。枕元に水と防災ラジオと靴を置いて寝るような用心深い(?)人間なのに、そこは、隕石が落ちてくる確率はゼロではないのにヘルメット等の防護をせずに出掛けるのと同様、考えて対策するだけ人生の時間が無駄だ、という風に考えている。


それであっても、今後ヒカルが某かの「到底理解し難い音楽性」を打ち出してくる可能性は、否定できない。出来ないけれど、それは私にとってワクワクする事態である。新しい魅力を理解する為なら私は(何故だか)努力するからだ。もしそうなったら、とても楽しい。楽しみで仕方がない。

寧ろ、私の大好きな音楽性を追究してくれた時の方が怖い。"底が知れて"しまうからである。もし取るに足らない内容であれば、たちどころにその事態を把握してしまい、有り体にいえば、即座にガッカリ出来てしまう。それが怖い。未知なる領域の音楽性なら理解するまで時間が掛かる。果たしてそれの質が高いか否かがすぐさまわからないから、それだけの間の時間十分楽しめる。となればまぁそこそこいい経験だったとはいえるだろう。そっちの方がいい。


でも、流石にそうはならないだろうなぁ、とは思う。Utada Hikaruは稀代のメロディー・メーカーであり、"光"や"Apple And Cinnamon"のような流麗なメロディーラインを書くのを最も得意とする。それが崩れるとはなかなか考えられない。ペースや打率が落ちたりしても、いずれはまた名曲を書くだろうという"期待"は、ある。それは僕がそれを期待しているか否かによらず、ただそこにある"期待"である。シンプルに「予想」と言ってもいいが、それは誰のしたためた予想でもない。どちらかというと神託に近い。従ってこれは「予言」いやさ「預言」がいちばん近いかな。

兎も角、Utada Hikaruのコンテンツを楽しむコツは「こだわらない」事だ。ただ出てきたものを食べてみる。それだけである。ラーメンが来ると思ってたのにカレーが来た。ありゃりゃ、まぁでもカレーでもいいかな今日は。そう思える人が末永く愛せる人だ。味は美味しいに決まってんだから。