無意識日記々

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話の枕に「 #あさが来た」をば。

昨日前作の朝ドラ「あさが来た」の総集編前編冒頭を観た。いやはや凄い。こんな上出来なドラマの後では引き続き視聴している層が「とと姉ちゃん」を物足りなく思うのも仕方の無い気がする。比較さえしなきゃいいんだが、朝ドラの特殊な"視聴習慣"がそれをさせないのだろうな。作り手側ですら、前作はおろかそれより前の作品まで意識してキャスティングしてるし。(時期的にラサール石井は偶然だと思ったが実際のところはどうなんだろう)

「あさが来た」の強みは、総集編を見ればわかりやすい。ストーリーの全体の骨格がキッチリと定まっていて、それにそって丁寧にキャラクターが動いている。このバランスがドラマ作りではいちばん難しい。プロット優先だと人物作りに嘘っぽさが出るし、キャラクターが動くままにしていると収拾がつかなくなる。作品の時間的枠が無限なら後者でよいのだが、予め枠が決まっている場合にプロットにどう人物の性格を当てはめるか。この点が「あさが来た」は非常に優れていて、溜めて発したセリフの悉くが「当たり」だった。BK制作でここまでのものを作った制作陣は尊敬に値する。

その点でいえば、この作品最大のミスキャストは波瑠だった。総集編だとよりわかりやすかったが、あさは男勝りの女傑でずかずかと男社会に踏み込んでいき頭角を表すキャラクターなのだが、はるさんは、もうひらがなで呼びたいくらいに線が細い。女同士で居ても「私はいいですから」とすぐに引っ込んでしまいそうなほどだ。全くあさ役には不適合。プロットに照らし合わせると。しかし、誰かとテレビに映った時の"華"は格別だ。玉木宏とはるさん、ディーン・フジオカとはるさん、宮崎あおいとはるさん。ただ映るだけで映える映える。こういうカップリングを見て視聴者は毎日ニヤニヤしていたに違いない。やるなぁ。

この、はるさんの「プロットに対する異物っぷり」がどこまで計算通りだったかはわからない。もしかしたら僥倖かもしれない。しかし全体として、「あさが来た」は、緻密且つ丁寧に全体の構成を計算して作った作品だと言えるだろう。余談だが、多分、制作陣としては「女学校づくり」はプロット上史実だから不承不承入れたんじゃないかなぁ。全体の持ち味からしたら蛇足気味だもの。

とにかくこの作品はあざといまでに視聴者の心理を読み尽くした、「売れる」ドラマだった。いわば、制作陣自体が、ドラマの中で描かれていたような「商売上手」だったのだ。主題歌にAKB48を起用した事からもわかる。狙って当てる、を見事に何度も繰り返した。作りが確信的過ぎてあざとさが鼻につく位。それを全部帳消しにしたのがはるさんの異物っぷりだったのだが、彼女が居なければ私は確実に「あさが来た」の事を「"あざ"が来た」と言って憚らなかったと思う。



嗚呼、また話の枕が長くなってしまった。勿論この後に話が続くんですよ。暫しの間、お待ちをば。