無意識日記々

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この道はいつかき(い)た道だった

『道』を聴いていて、何だか既視感があるな〜何だっけなぁ、とずっと思っていたのだが、やっと突き止めた。こっこの「遺書」だ。

い今までのヒカルの曲のどれかに似てるんだろうな〜と漠然と前提に考えていたせいで暫く気づかなかった。ヒカルの曲じゃなかった。しかし、だからと言ってこっこの歌そのものでもない。私が既視感を感じていたのは、Kuma Power Hour Episode.2(2013.6.18tue)でその「遺書」をフルコーラスでかけた直後にヒカルが口遊んだ(「遺書」のアウトロのスキャットの)フレーズだ。『カラオケで絶対歌うナンバーです』と言い切るだけあって、歌い慣れたものであったが、と同時に、こっことは違う、何とも言えないヒカルらしさを感じた瞬間でもあった。『道』にはその時のヴァイヴがある。

勿論、フレーズをパクっているとかそんな次元の話ではない。もっと曖昧な、フィーリングのレベルでの話だ。何というか、哀感と諦観の狭間に可愛らしさが見え隠れするような独特の魅力。それがこっこの『遺書』(をヒカルが歌ったヴァージョン)と『道』の共通点だろう。

今聴き返しても、強烈な歌詞である。

「私が前触れもなくある日突然死んでしまったならあなたは悲しみに暮れて毎晩泣くでしょう」

「骨埋める場所なんて要らないわ
大事にしてたドレスも写真立てもひとつのこらず焼いて
そして灰になったこのカラダを両手に抱いて風に乗せてあの海へとかえしてください」

この曲をオンエアしていた時、まだ圭子さんは生きている。そうでなくなるのはここから僅か2ヶ月後のことだ。幾らカラオケで絶対歌うナンバーだからといっても、実際に母を散骨したヒカルがこのこっこの歌をすぐに歌えたとは聴けたとはとても思えない。文脈とあんまり関係ないけどこん時はこっこだっけCoccoだっけすまん失念してしまった。

ヒカルも、『道』を歌った時に『遺書』が念頭にあった訳ではないだろう。しかし、どこかにこの歌のもつ強烈なヴァイヴが残っていて、それが『道』に作用したように感じられてならないのである。奇妙な既視感だったが、今は確信に近い。並べて聴くと、本当に姉妹のようである。


まぁこれもあんまり関係ないけれど、『道』のブリッジを聴いてたらザ・ナックの「マイ・シャローナ」を思い出してな。これは似ていると言われれば確かにそんな気がしなくもない程度かな。それに、音楽的にそんなに近くないしな。


にしても、いい曲だな、『道』は。パワープレイともなると個性的な歌は何度もラジオから聞こえてきてしまうといい加減食傷気味になったりもするのだけれど、『道』は短くあっさりとしていて押し付けがましくないからサラッと何度でも聴ける。それでいてちゃんとフックラインがあって気がついたら口遊んでいる。なんとも絶妙なバランスのリーダートラックだ。一旦封印した言葉をまた使いたくなったよ。この曲は中毒になる。

しかし、だからこそこの歌はアルバムのNo.1ソングでは有り得ない。確実にこれより感動的な歌がまだ後ろに控えているのだ。だからこの歌はこうなったのだ、という感じが強くする。間も無く配信開始だから皆、心して出迎えましょう。ここは肖ってFMラジオ風に言った方がいいかな? Stay tuned and DON'T MISS IT !