無意識日記々

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未知の『道』へと

『道』はテンポ感のある、前向きな、でも切なさを湛えた如何にもヒカルらしい楽曲なのだが、この曲だけがもつなんとも言えないかわいらしさ、キュートさは一体どこから来るのだろう、と考えた時に思い当たったのは、この曲が「少し無理をしているから」なのではないかという事だった。

無理、というと語弊があるかもしれないな。この曲の歌詞は、最初に書いた通り、どこまでも消えない悲しみを感じさせている。のだが、何ていうんだろう、このコは本当は悲しいんだけど、こちらに語り掛ける今の段になった時には気を取り直して笑顔を作って「私、元気だから!」と言ってくれているように思えてならないのだ。悲しさは癒えないけれど、だからってずっと落ち込んでいる訳じゃない、ほら、こうして前を向いて歩み始めてるよ!と、そんな風に無理にでも笑ってくれているようなな。そこから来るなんとも言えないいじらしさみたいなものが楽曲の端々から滲み出ているのが感じられて、切なくなるというよりキュンとなる。キュートで、スイートで、チャーミング。

だからなのか何なのか、トラックのサウンドはどうにもスケール感みたいなものが足りない。いや、何か予兆や前兆のような"気配"が感じられてこの『Fantome』アルバムのオープニングとしてはこの上ないものなのだが、頼もしさみたいなものは、あんまりない。この歌を聴いて、「そうか、このコは悲しくてもこんなにも気丈に振る舞って笑顔をこちらに向けてくれてる(もしかしたらひとりになったらまた泣き崩れるかもしれないのに)んだな、俺も頑張らなくっちゃ」とは強く強く思わせてくれるが、このコに頼ろうとか甘えようとかは思わない。スケール感が足りないというのは、そういう所だ。その代わりに、他の曲にはないキュートさスイートさが出ているんだと思う。

例えば『traveling』や『This Is Love』なんかはイントロが流れ始めたもうその瞬間に引き込まれる。どこか新しい世界に連れて行ってくれるような頼もしさを感じさせる。しかし、シンプルなリズムから始まる『道』は、未来への気配は感じさせるがインパクトはない。必死さを笑顔で覆い隠したような、今までにない切なさが作られた軽やかさで紡ぎ出されてゆく。

技術的には、歌はしっかりしてるんだがバックのサウンドが地味、という事だ。『DISTANCE』にしろ『COLORS』にしろ、キャッチーな歌メロとともにシンプルですぐに入り込んでくるインストのテーマ・メロディー(キーボード・リフ)が楽曲の骨格を形作っていた。そのサウンドが我々を宇多田ヒカルの世界に引き込んでいた。

『道』に限らず、『Fantome』の楽曲は、このまま揃っていけば『歌メロと歌詞は充実しているが、インストとサウンドはイマイチ』という評価に落ち着いていく気がしてならない。それは、ヒカルのリフを書く才能が枯渇したとかいうのではなく、単純に、歌と詞で表現される"私"の心が、この世界の今どこに居るのか見えていないからではないだろうか。

歌モノの作品において、バックのインストは「その世界に引き込む」という重要な役割を果たす。『Fantome』は、『道』のあのシンプルなイントロによっていわば「ぬるっと」始まってしまう。もしあなたが彼女の歌に耳を傾けるつもりが最初からあるならそれでもいいだろうが、そうでない人にとってまず『道』はいつの間にか始まっていつの間にか終わる曲でしかない。歌自体は凄くPopでキャッチーなのにね。

だからどうこう、というつもりもない。極端に言えば、器楽演奏でがっちり音世界を作り込んでしまわなかったからこその『気配』なのかもしれないし、聴く耳を持つ者にとっては余計な雑音に邪魔されずにそのままヒカルの心と言葉に触れる事ができていいかもしれない。しかし、だからこそ、打ち込みであろうがなかろうが、ここにあるのは剥き出しの、"場所を選ばない"宇多田ヒカルの心である。『道』のイントロは、だから、正直で、故に生々しい。敢えて言おう。本来ならこういうレアなサウンドをこそ"Rock"と言ったのだ。

だから、『道』は間違いなくライブで化ける。その生々しさは率直さとなってあなたの心をグイグイ引っ張ってゆく。そのシンプルさは楽しみに来ている貴方を魅了して離さない。まだピンと来ていない人も、暫しの間、コンサートまで待ってみて欲しい。もう気に入っている人は、各位が書くコンサートレポートを楽しみにしてみよう。『Fantome』の物語は、思いの外長くなっていきそうな気配だ。