無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ドッチから見てもアウトサイド"だけど"

渋谷カフェトーク帰り。嗚呼楽しかった。

ちょうど時間となったので、最後に話題になっていたネタの続き。読者にとっては「知らんがな」というしかないヤツ。

今回の『Fantome』のサウンドは時流との距離感が絶妙で、という話から私が出したキーワードは「ポップ・ミュージック・ファンの為のあんまりポップでもない音楽」。更にそこに付け加えると、「ポップミュージックが好きじゃない人たちの為のポップミュージック」。

普通、ポップ・ミュージックのファンはポップスを聴きたがるし、アンチ・ポップ・ミュージックの人は流行や尻軽を軽蔑して頑として流行りの歌なんか聴きたがらない。敬遠さえしてしまう。その溝は思っている以上に深い。

思うに、『Fantome』はその間を揺らめいているようにみえる。ポップからもアンチ・ポップからも当距離にある…なんていう単純なものにとどまらない、もっと幽玄な感じがする。

ポップミュージックファンからみれば、あんまりポップには思えないんだけど、かといってコアなジャズやソウルほどとっつきづらくなく、聴いてみると意外と印象に残る。カッコよすぎてついていけるかついていけないかという中できっちり「ポップスファンとして聴ける」範疇にあるわかりやすさと親しみやすさがある。

一方、アンチ・ポップ・ミュージックな人たちは、『Fantome』に対して「ポップスの癖になかなか聴かせるじゃないか」と一目置いてくれる気がする。確かに、彼らが普段聴いている音楽と較べてもコアな訳でもないし徹底している訳でもないのだが、楽器編成にしろ曲展開にしろ普通のポップスにはない独特の特徴があるし、その割に聴きやすい。今の旬を感じさせる音ではあるけれど、流行を追い掛け回しているような尻軽さは感じられず好感が持てる。勿論中にはライトな曲調やありきたりなコード進行も聴かれるが、どこにも皮肉やウィットが効いていて唸らされる場面が少なからずある。結果、「ポップスにも聴ける音があるじゃないか」と見直される、という寸法である。

即ち、ポップミュージックファンからすれば「そんなにポップじゃないけど聴ける音楽」だし、アンチポップな人々からすれば「ポップスだけど聴ける音楽」なのではないか。『Fantome』は、そんな立ち位置に居る気がするのだ。


…と言い切りたいところだが、それは流石に理想論と願望が若干含まれている。現実には、そんな"欲張り"なサウンドを目指して作ったとしても、ポップスファンからは「ポップじゃない」と切り捨てられ、アンチポップ勢からは「ポップスじゃないか」と一瞥すら貰えない、という結果が関の山である。『Fantome』がそうならないとは、正直言い切れない。

しかし、ヒカルの事だから、嗅覚で、本能レベルでそこらへんのサウンドスタイルを探り当てている可能性がある。そういう"根っこ"があるのならば、上記の話はただの願望から現実となりうる。『Fantome』にはその可能性を感じる。

特に、今回の作品は(カフェでも話に出ていたのだが)、ロンドンで生活しロンドンで(小森くんを呼び寄せてまで)録音したのが大きいのではないか。未だにロンドンが"世界中から今の音楽が集まる場所"であるのなら、好むと好まざるとにかかわらず、音楽家は街からそういった気っ風を受けるように思う。環境に敏感なHikaruが影響されないとは言い切れない。

ただ、その分、『Fantome』のサウンドは英欧米のファンに好評である一方で、世界の大衆音楽の流れと比較的無縁な日本やフランスといった国では相対的に評価が低くなる恐れがある。皮肉にも、収録曲で用いられている言語は日本語とフランス語なのだが。これが不運だったとなるか、英欧米ではサウンドが評価され日仏では歌詞が評価されてどこでも高評価となるか、さてどちらに転ぶか私もわからない。しかし、そういった視点からみれば、世界各国のiTunesチャートの動きも幾分か興味を惹くものになるのではないか。

日本語で勝負する作品、という事で正直事前には『Fantome』の国際展開についてはまともな考察をしてこなかったし、全世界のポップスファンのみならずアンチポップピープルにまで訴求するようなチャレンジングなサウンドを垣間見せていようとまでも思っていなかった。まずは、純粋に、日本で売れるかどうかばかり考えていた。しかし、iTunesチャートで全米3位にまで上り詰めた今となってはそうも言ってられなくなった。『Fantome』から先のHikaruの物語は、今後思わぬ展開を見せるかもしれない。引き続き注視していきたいぞ。