無意識日記々

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アメリカさんがまた戦争ふっかけてるのか。相変わらず野蛮な国だ。こうやって国単位で話してしまう事自体、まだまだなんだろうな。本当はA国vsB国なのではなく、A国の戦争クラスタの人間とB国の戦争クラスタの人間がどんちゃかやっているに過ぎない。A国でうんざりしている人とB国でうんざりしている人を分断するから始末が悪い。どっちが正義か悪かとか先とか後とかそういうの全部どうでもいいから全員一旦手と足を止めろ、というのがこちらの本音なのだが、当然夢物語だわな。

ヒカルもたまには何か言いたくなってるんじゃないかなぁ、と昔のメッセを思い出しながら想像する。昔より今の方が政治に関心があるそうだからわかるだろうが、世の中には戦争をしたがる人というのが実際に居るらしいのだ。会った事ないから知らないが。でも、でないとこんな風にはならないよねぇ、確かに。仕方なく戦闘行為をしてる国なんてある? 何あの高揚感。落胆のもと武器を取ろう!って言う場面、お話でも一度もみた事ない。復讐とか正義とか託けて自身の闘争本能を正当化しているだけですわ。

家族や友人を殺されればそうなるのは痛いほどわかる。我慢しろ、とは言わない。実際に復讐に行ってみればいい。果たして現実に、純粋に「仇をとる」事ができるか? 身近な人を殺したヤツだけをピンポイントで殺せるか? 違う。現実は、身近な人を殺された訳ではない人間が憤って戦いを煽り、誰も殺していない人が殺されるのだ。だから途轍もなく始末が悪い。これは感情の問題ですらない。ただひたすらに、人間のやる事が「雑」なのである。

現実にはほぼ不可能だが、身近な人を殺した相手に復讐を遂げる事を許しても、戦争は起こらない。よく「それが悲しみの連鎖を呼んで復讐が復讐を呼び…」なんて事をいうが、冷静に考えろ、普通はすぐに「あいつは人を殺すような酷いヤツだったんだから殺されてもしかたない」って段階が来るんだ。そうならないのは、やり方がみんな「雑」だからだ。常に関係ない人間が絡んできて関係ない人間が絡まれる。そうやって戦争を面白がる人間が居る限り戦争はなくならない。もっとも、21世紀の今になっても実状はもっと野蛮で、そもそも戦争がいけない事だと思ってない人間がたくさん居る段階なのですが。そこをクリアしてもまだまだだよ、というのが今日の話だよ。

「雑」なのがいけない。しかし、もっといけないのは「暇」である。他にやりたい事がないから戦争なんぞやるのだ。必要に駆られる戦争だったらやりゃあいい。食糧がなくて餓死者が万単位で出るとかだったら隣の国を攻めて奪えとなるわな。どうも、世にはそんな段階でもないくせにドンパチやる輩が居る。何が楽しいんだか。他にやりたい事のある人間にとって、戦争ほど邪魔なものはない。人の人生に土足で踏み込んでくるからだ。

彼らの意志すら尊重して「だったら戦争していいから、戦争したい者だけ集めてやってください。火星にでも行って。」と言いたいところだが、戦争の本質が「雑」であるならそんな気の利いた選別なんて土台無理なのだ。本当に………っ、始末が悪い。

世の中のあらゆる人間が「他にやりたい事があるから戦闘行為なんて辞めよう」とならない限り戦闘の連鎖は無くならない。我々は徹底的に「人生で魅力的な事」を喧伝し続けなければいけない。「こんな事をしている場合じゃない、家に帰って宇多田ヒカルのTV出演を観るんだ!」と世界中のあらゆる人間が思える位の歌を歌えれば世界は平和になる。1人の人間では無理だが、そういう関係を限りなく増やしていく事は出来る。平和の為には、雑になる隙を与えない事。それがとっっっっても大事なのだった。