無意識日記々

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ふらふらふしぎ

文化の中でも衣食住に関する分野は強い。"生活必需"というキラーパワーワードの前には沈黙せざるを得ない。このワードが使えない分野は、いつもなかなかに厳しい。

しかし、だからこそ逆に、文化的な側面での発展に自由がある。特に日本に住んでいると顕著なようだが、栄養摂取という意味での食文化はここまで百花繚乱である必要は全くない。衣服も、身体防護や体温調節の機能の為にこんなにまで多種多様になる必要はない。建築については現代はコストや土地の問題があるからピンと来ないかもしれないが、その気になったらピラミッドのような"どうでもいい"事に一生を捧げたりするのが人間なのだ、と思えば想像もつくのではないか。"生活必需"という隠れ簑を得て皆自由に"遊んで"いる。羨ましい。

絵画とか音楽とか小説とかはそういうのがない為、どうしたってぞんざいに扱われる。「なくてもいい」もまたキラーワードだ。更にこれをインターネットが"潰した"。コピー可能なコンテンツの価値は下がった。

とはいえ、こと西洋化された社会に関していえば、どんな建築物よりどんなメニューよりどんなファッションより、聖書と原論という二冊の本が影響力をふるっている事もまた事実だ。じゃがいもや小麦とどちらが影響力として大きいのだろう。流石に負けるか。しかし、原論なくしては三角測量すらまともにできないのだからそこらへんの威力は推して知るべしだし、聖書のお陰で起きた戦争(と、恐らく"防がれた"戦争)は枚挙に暇がない。強力だ。

その気になれば"書物"のような"非・生活必需"も力を得れる。読み書きと情報伝達としての"信書"の類は必需とはいえるが、聖書って"お話"が書いてあるだけだからね。


音楽に関しては、「そういったあくせくから離れたところで自由に在りたい」という人と、「音楽を通じて社会に貢献できれば」と考える人の両方が居る。非・生活必需だからこその悩み、という訳でもないだろうが、人間売れると「俺にも何か出来るのでは」と考える。ただ、その場合も「曲を売って得た知名度で影響力を行使する」ケースが大半で、音楽そのものに期待する事はほぼない。

「人の心を動かす」力というのは、個々の資質に大きく依存する。必須アミノ酸のように必ず人体に必要なもの、という概念は通用しない。毛皮を着れば必ず暖かくなるが、心が暖かくなる音楽は人それぞれだ。だからこそいい、というのは予め用意された結論だが、それが常に人を惑わせる。正しい間違いとか、良い悪いとかいった基準で居ると、そこらへんを総て塗り潰してしまう可能性がある。あなたの代わりは居ない、というのは、間違っているからこそ正しいのだから。