無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

なる為に捨てた言葉が多過ぎる

これまた繰り返しになるが、私自身は今のヒカルに何の不満もない。最新の2曲、『大空で抱きしめて』と『Forevermore』が頗る強力だからだ。前者に頭を刺激され後者に身を委ねる、そんな数週間を過ごしている。うちのTwitterをフォローしている方々ならi_がどんな曲を普段気に入って聴いているか御存知かと思うが、そういう普段聴いている総てが霞んでしまう位に曲として強い。特に商業音楽としての邦楽でみた場合完全に「ひとりだけばけもの」である。洋邦問わずジャンル問わずで探したとしても、ヒカルと同レベルの生産性を保っているのはマリア・シュナイダーくらいしか私は知らない。幾らアデルやエド・シーランが桁外れに売り上げても、いや商業音楽は結果としての数字が重要だから確実に全く勝負にはなっていない(負けている)のだが、ただトラックを聴くという事に関していえば宇多田ヒカルの与えてくれる衝撃は図抜けているのだ。

なので、昨年に較べて最初のシングル2曲の動きが弱いとか18年もやってると過去の実績が足枷になっていくとかは、正直"わざと悩んでいる"のである。…やめた方がいいのかな。時間の無駄なのかな。でも、これも正直、私みたいに「うへぇ、図抜けている」と白旗を上げ切ってるファンもそんなに多くないんじゃないの、という風にも思っている。曲の素晴らしさに関しては、聴けば聴く程その確信が強くなる。一方で、多角的に今のヒカルを取り巻く状況も正確に捉えたい、と。贅沢な悩みだ。まさにマリー・アントワネット状態だ。こんなに美味しいケーキを堪能しておきながら、「ケーキに興味ないならパンでも食べときゃいいじゃない」と言ってるようなもんだから。

ふむ。

ならやっぱり、如何にこのケーキが美味しいかアピールし続けるのが「私のやるべき事」だわな。#i_uta タグ下で書くあの感じを徹底した方がよさそうだな。どこそこがいい、というのを具体的に書く。ひたすら書く。うむ、そうしよう。


できればリアルタイムで、『Message from Hikki』についてそれをしたかったな。あの言い回しや書き方がいい、といちいち最上級にウザいツッコミを入れてみたかった。まぁ歌詞に対してそれをやればいいんだけど、歌詞は歌詞になる為に捨てた言葉が多過ぎる。メッセはもっとこう洗練されていなくて、それ故文学的だ。普通だったら人間的と言う所だけど。今はもう『more』でしかない場所。何か新しい言葉の場を作った方がいいのかもしれないね。それはきっと宇多田光の言葉の墓場或いは揺り籠になる、のかな。