無意識日記々

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前置きが長くなる癖何とかしぃや

キャリアが長くなればなるほど、過去の実績が"敵"となって立ちはだかる危険性が大きくなっていくものだが、ヒカルの場合デビューから僅か一年足らずで過去の実績が重荷となってのしかかり始めていたのでこの点においてはデビューから18年というキャリア以上に経験豊富だ。前作より売上を落とし続ける中でもモチベーションを維持し続け、800万ユニットだの2000万ユニットだのといった"新しい実績"も積み重ねてきた。その姿は華麗ですらある。

とはいえ日本ではこと大衆音楽の新曲・新譜に関しては数字で語れなくなって大分経つ。興業は盛んになったが若い人たちにとってあれは"移動遊園地"であり早い話がサーカスだ。一周まわって古典的な娯楽媒体が復活したと言ってもいいかもしれず、となるとヒカルからすると現状の音楽フェスティバルのノリは「ちょっと違うんじゃないの」となるかもしれない。

元々音楽を数字で語る事に無理があるのだから現状に悲嘆する事もないのだが、"過去の実績"という数字は消えない。比較しなくなればそれで済む問題だが、それは即ち大衆音楽として忘れ去られる事もまた意味する。

毎度例に出して恐縮だがこれ以上にわかりやすい例はないので今回も言及させて貰うと、GLAYがよい例である。興業規模は現在でもトップクラス。フェス形態でなくともバンド単体で「街に祭がやってきた」ムードを作れるバンドだが、最早新しい名曲を生み出す機能は無い。リーダー自ら「いい曲作ってきてもダメ」とメンバーに言い放つというのだから末期である。「いい曲作るだけじゃダメ」ではないのだ。そもそもバンドの存在意義として、新しい曲は邪魔でしかない。バンドが活動を続ける為の方便なのである。それだけ彼らの作り上げてきた実績が桁外れなのだ。

これは年齢的な話ではない。60代の桑田佳祐山下達郎中島みゆきが相変わらず「今回の新曲も気合い入ってるな」と思わせてくれているのだ。ヒットするかどうかはまだ別だが、創作面でテンションを落とすかどうかは、ミュージシャンたちが過去の実績とどう向き合っているかにかかっている。

一応断っておくが、私はGLAYの生き方が間違っているとは思わない。それどころかこれだけ素直に環境に順応して生きている事に彼らの柔軟さとしなやかさに感服している。彼らも充実しているようだし、ファンはいつだって大喜びだ。勿論おおざっぱな話ではあるが、ミュージシャンとしてひとつの理想的な生き方だろう。誰も脱退せず今でも仲良く活動しているのだから。

うわ.「断っておくが」が長過ぎて前置きだけになっちゃったな。いつもの事だけど。続きはまた…次回かどうかはわかりませんw