無意識日記々

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数流話

仕事や問題にあたる時に努力や頑張りを重視するのが三流、知恵や工夫に重点を置くのが二流、閃きに恵まれるのが一流、呪われているのが超一流、だろう。

超一流になると創造力が留まる処を知らず、本人の意志さえ凌駕して作品や結果を量産する。時には御き切れずに破滅や自死に陥る程に。それを指して呪われているとか取り憑かれているとかいう。ここまでくると本人が幸せかどうかすらあやふやだ。一流は「なんでそんな事できるんだ」という結果を齎すが、それは絶えず携わっているから。二流は「落ち着いて一から考えてみよう」ができる人たち。三流は兎に角まずは身体を動かさないと結果が出ないのだからと動き始める。

仕事や問題の質によっては、超一流より三流の方が遥かによい結果を残す場合も多い。要は適材適所なのだが、各種の言説をみるとこの日本という国は指揮者や指導者、リーダーといった舵取り役の人材、或いはサッカーでいえばストライカータイプの人材が不足しているようだ。

一昔前は日本は「一億総中流社会」とまで呼ばれた。突出した大富豪が少ない代わりに、貧困層もそうそう多くない、という。しかし今では「一億総三流社会」になっているのではないか。努力や頑張りばかり重視されるから、知恵や工夫はおろか、閃きを重んじるタイプは軽んじられ、苦痛や疲労に耐えて絶えず稼働する事を強いられる。サッカーのストライカーなんて本来89分休んで1分の閃きを生み出すのが仕事の所からスタートすべきポジションだろうに、最初から中盤の選手と同じように足を動かすように命じられる。土壌からしてストライカータイプは生まれづらい。

経営者とか政治家のような舵取りを任されるタイプも育たない。このタイプは努力したり頑張ったりしても無駄である。如何に大局観を身に付けるかにかかっているのに、しかし、役職としては必要なので結果無能と謗られる人材が集まる。「総中流社会」にしろ「総三流社会」にしろ出る杭は上でも下でも撃たれるので育たない。皆々様日々実感なさっている事だろう。その代わり現場に有能な人材が集まり科学技術立国としての地位を築きかけたがここで世代の問題が起こった。一億総三流の中から出てきた世代が世の権力側にいよいよ多くなり、生き残っていた一流や二流の生き方を刈り始めたのだ。そして今ここ、である。科学技術立国は遠い昔。理科教育すらままならず、見事に斜陽を迎えている。振り返ってみれば既定路線だったがそれも何も結果論。悲観的と言われそうだが、これはただのひとつの必然であって、変えなければこのまま行くだろう。


そんな世界にあってヒカルさんは理解ある周囲に守られてここまできた。ヒカル程の天才でも、周囲に恵まれなければ『Utada The Best』騒動のようなトラブルに巻き込まれる。地位も名前も確立した今、殊更努力や頑張りを期待されなくて有り難い状況だ。つまり、矢継ぎ早のリリースや過酷なツアーを要求される立場にない、という事だ。

勿論これは東芝EMI時代からのチームが健在だからであって、ある意味SONYで結果を出し続けなければ悪しき「三流主流」の流れに呑み込まれてハードスケジュールを押し付けられ持ち味を発揮できない、なんて事になりかねないのでこのまま是非「大物感」を維持していってほしいものである。


さて最初の分類によれば宇多田ヒカルは一流になるのだがその話は又次回。