無意識日記々

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ジャニーズファンの方は読まないように

ここ2,3年で漸く改善の兆しがみえてきたが、なぜかこの10年から15年位、日本の男性ヴォーカルに歌の上手い人が少なくてもやもやしていた。恐らく、ではあるが、ジャニーズの方針のせいではあるまいか。

男子が女子アイドルを愛でる時、歌唱力というのは余り重視されない。いや勿論上手いにこした事はないのだが、「そこはご愛嬌」とばかりに許されてしまう。「下手でも頑張って歌おうとする姿勢が微笑ましい」とか完全に保護者目線というか「守ってあげたい」路線というか。いずれにせよ「歌が下手でも構わない」と女子アイドルを愛でるのは一定の市民権を得ているような気がする。

ところが、男子と女子が逆転すると妙な事が起きる。女子が男子アイドルを愛でる時にはそもそも「歌が下手である」という事実を認めようとしないのだ。ジャニーズの場合ジャニーさんだか誰かの方針で「歌の練習をしてる暇があったら踊りの練習をしなさい」と言われるらしく、確かに皆まともな発声すら持ち合わせておらず最早上手い下手以前のレベルだったりして、彼らの歌が酷いのは公然の事実であるにも関わらず、昔から伝統として、ジャニーズファンの女子に「この人歌下手だよね」と言及すると烈火の如く怒り真っ向から否定するのである。確かに、そんな失礼な事を言われたら気分を害するのはわからなくはないが、事実を否定しにかかる所が男子が女子アイドルを愛でる時の違いだ。女子が男子アイドルを愛でる時はそこに夢を見なければならない。かっこよくてハンサムで歌も踊りも上手くって、という王子様キャラを夢想させれる事が大事なのだ。

勿論、SMAPがバラエティージャンルに進出して以来空気が変わり、四半世紀位かけてジャニーズにも様々なバリエーションのアイドルが人気を博したが、基本路線は変わらない。相変わらず男子アイドルは女子ファンの王子様である。

或いは、男子が女子アイドルを愛でる場合とは「見る夢が違う」といえるかもしれない。ルフィがケイミーに会った時に「お前、うんこは出るのか?(ブルックの時に次いで2回目…ってこの注釈前にも一度書いた気がするなぁ)」と訊いたらサンジが必死に「出ーなーいー!」と否定しにかかっていたが、男子が女子アイドルにみる夢はつまり「清廉潔白」なのだろうな。

つまり、アイドルってなそれぞれ異性に対する憧れや幻想を背負わされる存在なのだ。全く、アイドル(偶像)とはよく言ったものである。

さて、話はこれで終わりにしてもよいのだが、ヒカルさんの場合について触れておこう。ヒカルさんが背負わされていた"幻想"は『Addicted To You』のイメージチェンジの時に大分解き放たれ、結婚の時に更に削られ、離婚に至ってまぁ大体なくなったかな、と思っていた。しかし、今新しくファンになってくれている若い人たちのツイートを見ていると、ちょっと背負わせ過ぎてやしませんか、という気分になる時がなくはない。『宇多田ヒカルという至上』を"新発見"した新鮮な興奮もわからなくはないが、過剰に評価をし過ぎると息切れする。あまり夢を押し付けずにありのままを見ていた方がずっと長続きするよ。いやまぁ、別に長続きする必要も何もないのですが、夢をみすぎるとそのうち何が魅力で好きになったのかわからなくなっていくものだから、見失ってしまう前に「あぁ、ここだ。」というポイントをみつけておこう。ゆっくりできるよ。

なお、そのポイントが見つからなくて困り果てた挙げ句「一体ヒカルのどこにどう惹かれてこんな事になっているのか?」を追究し続けていくとこんな延々続く日記が出来上がる。そして未だに私さっぱりわからないよ。