無意識日記々

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直木かブルゾンか

35か。

毎度々々書いている事だが誕生日とは別に「歳をとる日」なだけではない。それはそれでめでたい事だがまず第一義は「その人が生まれてきた事を祝う日」である。故に祝われる当人が鬼籍に入り享年が固まってからでもその人の誕生日は祝われる。生誕百周年とか五百周年とかまでいかなくても「生まれてきてくれてありがとう」及び母親に「生んでくれてありがとう」と感謝の意を伝えればいい日なのだ。

宇多田光さん、生まれてきてくれてありがとう。
宇多田純子さん、光を生んでくれてありがとう。

そろそろダヌパも「誕生日」という概念を理解する年頃だろうか。まだ早いか。お母さんのお誕生日を祝う気持ちになるのはもう一年後になるかもしれないが、ヒカルも息子に祝われる可能性が出てきてるってのは心に留めおいといていいかもしれない。生誕を与えた相手に生誕を祝われる。"おばあちゃん"が居たらなぁと思ってしまうが、野暮ってもんかな。人生は続いていくのだ。いつ途切れるかなんてわからない。

しかしこれで…「アラサー」だったのが「アラフォー」になる転換点を迎えたって事か。ミッドサーティ? 何だかわからないが、世間の目もそれに従って…と思っていたのだが、30年くらい前の35歳と現代の35歳は全く意味合いが違う。昔はもう至って「いい大人」或いは気が早くも「中年」扱いだったが、今は業界によっては「若手」として扱われたり、逆にプログラマーシステムエンジニアとしては「衰え始める年齢」だったりと随分幅がある。「芸能」の世界は、やや昔より年齢が上がっている感じなので宇多田ヒカルは20周年を迎えようとしてるけど「ベテラン」とまではなかなか言われない。そんな時期。

そう考えると、確かに今を生きる30代って『ほどほど』なのかもしれない。そういう時期だから出来る事もあるのだろう。まだまだ体力があり経験も豊富。結局"働き盛り"なのは今も昔も変わらない。