無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

そのつもりではあるのだ

やっと座談会の中心が『初恋』に。このパートを前半に持ってきても何の問題もなさそう。構成って大事だね。

アルバムもそうだ。曲順はデカい。いつも制作者からして過小評価している印象が強い。まぁそもそも「アルバム」という単位自体があやふやなのが諸悪の根元なんだけども。

曲の構成は、今回過去最高に凝っているんじゃないか。そうくるか、そうきたか。まだたたみかけるのここで退くの。色々言いながら12曲が終わっていく。

こういう作風が既に20万だか30万だかの人間に届いている。奇妙な感覚だ。理解度は人それぞれだろうが、強い音楽は好みを超えて影響を与える。聴けば伝わってしまうのだ。何かが。

それはいい。だが「大衆性」という感覚からはますます離れている。歌謡曲でもないし、軽々しくポップスと呼ぶのも憚られる。何かこう、商品として消費される気配が薄い。そんなものが商業的に成功しているのが異常だ。

自分が歳をとって大衆音楽が何かわからなくなってきたのではないか?と思いつつ坂道シリーズ(欅とか乃木とか)の歌を聴いて「2010年代のアイドルポップス、いや邦楽の中心てここだよなぁ」と納得していたので、それはなさそうだ。ロックに関しては逆の気持ちしかないし。「もっと聴いてみて理解の及ばない音楽をやってほしい」。若い子たちは皆優秀で真面目で、あっという間にフォーマットをマスターする。鮮やかな手際。器用すぎてまとまるのが早い方が心配なくらい。

ラジオで『初恋』からの楽曲が流れてくると格の違いに愕然とする。確かに、なんかもう別のフィールドの音楽だ。が、結局はそういった場面で流れるのだから流行歌として消費されそうなもんだが、そうはなっていない。この感覚を説明するのは、本当に難しい。

アルバムの曲順は、前半に先行配信曲を集中させて後半が新曲主体だった。そのつもりではあるのだ。傍若無人にこれはオリジナルアルバムなのだからいちから曲順を決める、とはならない。みんなこの歌に馴染んでるよねからの作業だった筈だ。考え方はそっちだ。芸術家肌というより、サービス業、プロとして顧客にエンターテインメントを提供している感覚。

「悪いポップは媚び。良いポップは思いやり。」てな事をヒカルが言っていたが、今のサウンドに思いやりがあるかというとよくわからない。が、媚びなさ加減はますます拍車が掛かっている。どうやってポップになろうというのか。


今宵は定まらない思考をそのままたゆたわせてみた。読みにくくて申し訳ない。が、こうやって種を蒔いておくとある日突然芽が出て花を咲かしたりするのである。"今"を多義的に捉える一環なのですよ。