無意識日記々

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太陽と月 白ゆみちんと黒ひかるちん

なんと椎名林檎初のベスト盤、未公表だったシークレット・ニュー・ソングは宇多田ヒカルとのデュエットだった! 吃驚仰天!!

……って言えなくなるんだからほんとリークは辞めて欲しい。みんなで睨んだら愉快犯も減るからよろしくな。

というわけで椎名林檎宇多田ヒカルによる新曲「浪漫と算盤 LDN Ver.」のミュージック・ビデオが公開された。配信解禁は今夜24時からだ。LDN Ver.とはロンドン・バージョンのことらしいが、だったら「浪漫及算盤 倫敦産版」みたいな表記の方が宜しかったんじゃないかしらん。余計なお世話。

それにしても素晴らしい。なんとまぁヒカルの美しいことか。カラーだろうが白黒だろうがその美しさには揺るぎがない。麗しいことこの上ない。

白を身に纏う太陽たる椎名林檎林檎ゆみちんと黒を身に纏う新月の様な宇多田ヒカルちんが両脇に陣取り向かい合う卓上に設えられたるは当然の如く白黒のチェスボード……ではなくなんとテトリス! こんなに宇多田ヒカルリスペクトを前面に押し出していていいのだろうか。いいんです。

不敵で素敵な笑みを浮かべながらカメラ目線をくれてやるヒカルの表情に早朝からやられて早々に本日の早退や欠勤欠席を心に決めた子女の皆さん数知れず、といった所だが百合男子目線としてはこのカメラ目線に一言付け加えておきたくてな。

全体としては黒を基調にショートヘアでスタイリッシュに画面を踊るヒカルの姿は3年前にvogue Japanでマチェイ・クーチェと執り行ったセッションを彷彿とさせる。同セッションは過去最高に美しくヒカルを捉えていると非常に名高い(主に私の中で)のだが今回もそれに肉薄する迫力だ。言うことありません。

だがここまでのアピアランスを見せてくれているのになかなかそのカメラ目線を素直にくれない。ここに焦らされててもどかしい。だからこそいざ貰えた時のインパクトが際立つのであるが、その焦らし自体が計算づくなのだとしたら何とも恨めしい……って、この曲のタイトル「浪漫と算盤」だったな。リスナーの抱く浪漫を算盤勘定してくれてやがるって寸法か。やられているぜ。

でだ、そのカメラ目線なんだが……って朝からちょっと熱く語り過ぎてるな。続きはまた次回のお楽しみだぜ。

多重郷愁に彩られた歌の未来へ

「少年時代」は少年時代の頃の思い出を歌った歌だ。一方ヒカルはこの歌を『私にとって思い出の曲』という。若い頃に歌って披露したからだが、つまり今のヒカルがこの歌を歌う時は二重の郷愁に彩られる事になる。歌の中で嘗て少年だった人のノスタルジーと、嘗て少年時代に(といっても二十歳の頃だけど)この歌を歌ったというヒカルのノスタルジーと。

当然それに伴ってリスナーのノスタルジーも多層的になる。元々1990年の頃から、ヒカルが歌う前から知っていた人の「少年時代」という歌の思い出と、ヒカルがこの歌を歌った思い出と。あの2003年の時初めて「少年時代」という歌を知った人も居ただろうし、それは今回もそうなるだろう。この歌の引っ張ってくる思いと思い出は、歳を重ねた人ほど分厚くなってゆく。

ヒカルは今回のカバーにより「コンサートで「少年時代」を歌う」というオプションを得た。勿論ヒカルは予め音源化していないカバーを沢山歌ってきてはいるのだが、『愛のアンセム』のようにやっぱり公式音源があるのとないのとではカバーの必然性に差が出る。歌いたいなと思った時に何の根回しも必要が無いのは大きい。

とすると。例えば10年後とか20年後にこの「少年時代」をヒカルがライブで歌う可能性も頭に残しておきたくなる訳だ。もし24年後とか……還暦の時に記念に歌ったら成人式から40年ということになる。そこで歌われる「少年時代」はまさに若い頃へのノスタルジーに溢れた歌になっている事だろう。気が早いことこの上ないがそれがこの日記の芸風だしその事に何の躊躇いも無いよ。ヒカルが郷愁を歌うというのはそういうことなのだ。なので、前回も指摘した通り、こういったコンピレーションへの参加も纏めたオフィシャルのディスコグラフィを恒久的に運営しておいて欲しい訳である。新しく入ったファンが十何年前──いやこれからは数十年前になっていくのか──、その頃の音源に違法となること無くアクセス出来る仕組みへの取り組み。ひょっとしたらミュージシャンとしての契約形態から考え直さないといけないかもしれないが、何もかも聴けなくなってからでは遅い。還暦で聴く「少年時代」の為にも、少しずつでいいから前に進めておいて欲しいものである。

ある日気が付いたらあの曲が聴けなくなっていました

11年前の今日は『Eternally -Drama Mix-』の配信開始日即ち発売日なんだが……オフィシャルのリンクが盛大に切れていて笑えない。あれでどうやって聴けというのか。のちにコンピレーションでCD化はされたもののそうそう手には入らないだろう。『Eternally』はオリジナルから数えて18年、このDrama Mixから数えて11年だからまぁこのサイクルの早い電子世界では音源が手に入らなくなったとしても仕方は無いのだが、「サイトがリンク切れ」というのは少々事情が違う。これはつまり音源が入手出来なくなっている状況をオフィシャルが把握していないということなのだから。

普段問い合わせが来るのならリンク切れにもすぐ気がつくだろうからこれはつまりDrama Mixの需要が余り無いか或いはリンク切れになってから日が浅いか。今更確かにほんの僅かの違いしかないリミックスを問い合わせてまで購入しようという人は少ないだろう。よって実害(機会損失)は軽微とみるべきかな。なのでこれ自体は糾弾の対象になる訳では無い。

で。こういうのの類似例は今後もありえるのだろうか。ある日突然『Sanctuary』が聴けなくなったりとかなんかありそうで怖い。つまり立ち位置の微妙なちょっとしたエクストラトラックだ。『Beautiful World PLANiTb Acoustica Mix-』とかね。それが配信やストリーミングから突如消える。これは怖い。特にストリーミングは所持ではないから消えたら二度と聴けない。ローカルに保存しとけるといっても一瞬だろうし。それが今後の懸念材料だ。

それを考えるとオフィシャルのディスコグラフィにはもっと一覧性を高めたデータ色の強いページを付け加えてどの音源が今どこで手に入るかを把握しやすいようにしておいた方がいいのかもしれない。確かにどの音源まで把握するかは難しい。関わるレコード会社が複数だもんね。とはいえある程度まででも利用価値はある筈だ。ストリーミングに軸足を移すというのならそういったオフィシャルによる「ほぼ全曲インデックス」の構築が待たれる。そういったところで仕事をしているアピールをしておくのも悪くないんじゃないかな。

夢はつまり思い出のあと?さき?

「少年時代」という歌は、タイトルがこうでなければなかなか少年時代を連想できない雅で詩的な表現が多い。このタイトルを付けることである一定の方向性に情景を誘導しているようにもみえる。

タイトルを忘れてただ歌詞だけを吟味してみると、例えばヒカルの歌でいえば『真夏の通り雨』なんかに近い風合いがある。

─ 目が覚めて 夢のあと

─ 長い影が夜に伸びて

─ 星屑の空へ

─ 夢はつまり 思い出のあとさき

『夢の途中で目を覚まし』

『立ち尽くす 見送り人の影』

『思い出たちがふいに私を

 乱暴に掴んで離さない』

決して似ているとかましてや似せているとかではないのだけれど、こうやって並べてみた時の親和性のようなものは伝わると思う。情緒の置き所に二人近いものがあるのだ。もともと「少年時代」の歌詞は宇多田ヒカルの世界観と齟齬がない。カバーが成功するのは目に見えている。もっともそれはコロンブスの卵でしかなく、最初にそこに気づいた奴はやっぱり偉い。

なので、ヒカルが今回カバーするにあたってその親和性とどういう距離のとり方をするのかがひとつの焦点になるだろう。より近付くか敢えて距離をとってみるか。

ひとつ思い当たるのはここでも『Passion』だ。老人が少年の(或いは少女の)頃に描いていた夢や未来を見る目線と目を合わせる時それは陽水の描く「夢はつまり思い出のあとさき」や「誰のあこがれにさまよう」と呼応するだろう。また「青空に残された私の心は夏模様」や「永い冬が窓を閉じて」なども『Passion』と同種の空気を運んでくる。となると『after the battle』のようにピアノ一本の編曲を思い描いてしまうが果てさてヒカルはそこをどのように捉えたのか、捉え直したのかな。冬を迎えようとする今聴けるのは、それはそれで嬉しいことなのかもしれないな。

(……今朝の続きはどうした、って? いやぁ、わからないよ(笑))

ガラケー時代の思い出話

2026年にFOMAiモードのサービスが終了する事が発表された。四半世紀に渡りお疲れさん、ってまだ6年もあるのかよ。しぶといねぇ。うちに持ってるガラケー技適が22年までだからどちらにせよ満了だわ。

この日記もガラケー時代が長かった。初期はポケベル入力だったのよ。持ってたケータイが入力切替に対応していたのだ。当時のケータイは皆そうだった気がする。ケータイを持つようになるのはポケベルとPHSの次、という順序だったからそっちの方が馴染みやすかった訳だ。

この日記の初期の“500bytes縛り”も、その頃のメール投稿の容量上限が500bytesだったからだ。その上限が撤廃されてからも暫くは500bytes縛りを継続させてみていた。故に当時の日記はほぼ総て同じ文字数で纏められている。まぁスタイルになったよね。今は文字数自由だが多分いつでも字数制限に対応できるだろう。身についている。

昔話が続く。iモードの何が嬉しかったって『Message from Hikki』が対応してくれた事だ。朧気な記憶だと2001年1月分からだったかと。手元でメッセの更新を確認出来る日々。いやはや嬉しかったねぇ。

ヒカル自身も当時FOMAのCMに出演していて「未来派」のイメージがあった。特に「携帯電話で音楽が聴ける」という触れ込みは大きかったよね。メッセにも書かれていたが、ヒカルが仕事で過去音源の確認を強いられた時手持ちにバックカタログがなく焦っていたところ電話会社から自分の曲をプリインストールして貰ったケータイを献品されていた事を思い出して事無きを得たなんて話もあった。音質もよかったんだってさ。

今は時代も下って寧ろ携帯電話が音楽を楽しむメインツールになっている。メッセージのチェックも、今はTwitterだが、手元でするのが当然だ。そのうち4Gも取って代わられるのだろう。日々進歩している。人的資源も限られているので選択と集中も仕方ない。

……話の途中だが今朝はこれくらいでまた次回。