無意識日記々

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脇役になって大分月日が経った…よね?


遂に明日椎名林檎との『二時間だけのバカンス』のパフォーマンスが地上波テレビで初放送される。トーク中や歌ってる最中に目を合わせた回数を数えたい所存である…。


それはそれとして、世代的な事を記しておく。ヒカルが『Fantôme』で復帰してきた時、若いファンのがどすんと増えていたのに驚くと共に、「椎名林檎との兼ヲタを名乗る人」の比率の高さに更に驚かされた。それどころか、というか、ファンでない人たちの間でも、「宇多田ヒカル椎名林檎があの時代のツートップ」という認識が広がってる事にも吃驚した。時代が推移するってこういうことなのね、って。


彼女たちをリアルタイムでみてきたこちらの世代は、ヒカルがその都度周りと比較されてきた経緯をもみてきている。最初期は倉木麻衣とのあれやこれや、そしてセカンド・アルバムを出す頃には浜崎あゆみと世紀の対決、みたいなね。それが「世間の目」だった。確かに、もうその頃からファンサイトに顔を出すような宇多田ヒカルファンの間では同世代(98年前後デビュー組)の中では椎名林檎の評判が最もよく、例えば2002年の『Letters』に出てくる『歳上の人』とは椎名林檎のことではないか?と候補に上がった事もあった。ちょうど同年初頭に彼女が離婚していた事もあって『ひとりでも大丈夫』だと言いそうだったというのもあったが、そもそもそこにリスペクトが無ければ「ヒカルが敢えて歌詞に登場させる人物」という認識・推理は生まれなかっただろう。そんな経緯もあったので、2014年の『宇多田ヒカルのうた』で椎名が『Letters』をカバーしたことが話題になったわけだね。


だが、その時点でもこちらにはツートップという認識はなかった。ヒカルのライバルというか対抗枠として倉木麻衣浜崎あゆみの名前が上がってた頃はもっと椎名林檎は独自路線だったのだ。それが、いつの間にやらそんなことに…と、思ってたのだが、ヒカルが復帰後に林檎嬢がインタビューでヒカルの復帰を待望・熱望していたというのを目にし耳にし、あら林檎さん、結構留守を守る気でいたのねとそこで漸く気づいたのだ私は(いつの時代も鈍いよね)。若いファンが椎名林檎宇多田ヒカルを並列に語るのは、ものっそい雑に言えば「椎名林檎がそうした」からだったのだ。



さて、ここまでありきたりな事をガタガタ並べ立ててきたのは他でもない、この視点に立った上で明日のパフォーマンスを観たいぞと私が思ったからである。もうヒカルが復帰して8年の歳月が経とうとしている。『花束を君に』と『真夏の通り雨』がリリースされたのは2016年、8年前の4月15日だからね。なので今更「おかえりHikki」でもないのだけれど、林檎嬢からすれば、この地上波初共演は「もう一度本来の二人の立ち位置に戻る」為の絶好の機会ではあるまいか。それを「世間」に知らしめる為の、ね。二人のテキストのやり取りなどを知るここの読者ならご存知かと思うが、この2人の関係は基本的に「頼る側」が林檎嬢で、「頼られる側」が宇多田ヒカルなのだ。それを、「世間」に向けて発信するのしないの!?というのが私の目下の明日の興味なのである。有り体に言えば、「目が合ったとき先に照れるのはどちらなのか!?」という話だ。ゆみちんひかるちんと呼び合った(過去形?現在形でもいいのよ?)仲を、どのように演出するか。そもそも、ずっと「椎名林檎」の役割を演じて生きてきているゆみちんが素に近くなって甘えられる数少ない同業者の相手が、どこにいってもナチュラルに宇多田ヒカルのまんまの宇多田ヒカルなのである。だから明日は、パフォーマンス全体で2人の関係性を演出しにくる林檎嬢と、いつも通りの自然体なヒカル氏の対比が明確になる事が期待される。トークの時間あったら嬉しいのだけどねぇ。とまれ、その一挙手一投足を目に焼き付けるつもりで明日を迎える事と致しましょう。

『 自 分 の リ ズ ム で い こ う 。 』


気が変わった。『In My Room』の話はまたいずれ。


というのも、明日がちょっと凄いからね。まず日付変更線超えたら『トレビアン・ボヘミアンスペシャル 2024』の完全版がSpotifyで配信開始、午前11時からポップアップストア最終日、お昼の1時からは全国ネットのラジオ収録出演、そして、今回のプロモーションのひとつのピークになるのかな? 夜8時頃からは、超特大ヒット曲『One Last Kiss』を地上波初披露、のみならず!遂に『二時間だけのバカンス』で椎名林檎と地上波初共演だ。椎名林檎が大好きな人もそうでない人と必見必至な夜になるわよね。


と、こんなに盛り沢山の一日を明日に控えながら私はプロモ疲れの真っ最中。「もっとゆっくりじっくり『SCIENCE FICTION』を味わいたい!」と思いつつ、出来てない。


公式が悪いよね(言い切ったw)。2枚組アルバム出しといてフラゲ日の夜22時から当日告知のアーカイブなし生配信する? 翌発売日の夜にオンライン・リスニング・パーティーする? いやさ、あたし昼間が労働時間なのよ、それやられたら2時間のアルバムをゆっくりじっくり味わえる時間て、平日だとそこしかないのよ。そこを使ってグダグダのリスニング・パーティーやられてもなぁ。いやチャットは面白かったから企画自体は素晴らしいかったんだけど、タイミング悪過ぎない?


そうなのよ、今週のスケジュールを全部消化するには、どっかで有給休暇とるのが正解だったのよね。それが選択肢にあったのにしなかった私の判断ミス、というのはそれはそれとして、今の時勢ではまだまだ自由に休みを取れる人は少ない。宇多田ヒカルは大衆向けの歌を供給する音楽家だということを踏まえれば─あーこうやって他人の状況を持ち出して話をするのは性に合わないんだけどそれでも敢えて言わせて貰えれば─、無茶としか言えないよなぁこのスケジュール。


そんな中で、情報を取り落とす不安感を持ちながら毎日を過ごしてる人も多い。そうしてるうちに、普段の生活ペースを乱してる人も多いんじゃないか? 日付変更線跨いでからアルバムやラジオ(どっちも2時間!)を聴こうとして睡眠不足になってる人も在るだろう。飢餓と不眠は全人類の敵である。断食とか徹夜で助かる人も沢山いるけどね。音楽を楽しむには、適切とはいえない。夜更かしした方が集中できる時間帯!っていうのもわかるけども。


そういう人には是非、綾鷹のCMのキャッチコピー、


『 自 分 の リ ズ ム で い こ う 。 』


を送りたい。『traveling (Re-Recording)』を聴きながら、この言葉を反芻して毎日の生活ペースを、毎日の生活リズムをキープしよう。キープ・トライン♪である。(それ言いたいだけかい)


情報が多過ぎて何が何だかわからない人は是非、もう既にご存知かとは思うが、うちのカレンダーのエントリを見て、今日明日程度の予定だけ把握しよう。明後日以降まで見てると項目多くて頭痛くなるからな(笑)。まぁ日曜日にゆっくり次の1週間の予定を概観するくらいが関の山よね。


https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/177ac8ea70726bfee65892d4f0dde748


その中でも「これは外せない」という予定は特に太字で記入してある。当初は公式のカレンダーに倣ってラジオテレビ配信リアルで色分けしようかと思ったが、あれ、見た目がカラフルになるだけであんまり情報の整理に役立たないのよね。色付けで優先順位が明確になるわけではないというか。なのでそこは思い切って捨てて、優先順位の明示を優先した。「ここは太字の方がいい!」というのがありましたらご連絡を。


若い人なら兎も角、25周年を迎えた音楽家のファンとリスナーとなると、身体に無理は出来ない層も沢山いるわけで。となると、普段の生活のリズムを崩してまで情報を追うのは、ヒカルも望むところではないだろう。ラジオで「9キロダイエットした」というメッセージを読んで「無理しないで」とまず言ってしまう優しい人ですからね。自分の情報を追う為に睡眠不足などで体調を崩したり怪我したりなんて望むわけもなく。あ、当人から「ダイエットでは無理してません!」と元気に返答を貰ったのでそこは心配ご無用です皆様。


確かに、繰り返すが、重要な情報を取り落とすとファンとしてはとても痛い。例えば当日告知のヒカル出演インスタライブがあるとしたら!?なんて想像するだけで頭が痛いもんね。でも、時には思い切っていろんな通知を切って、公式メルマガだけ読むとかそういう対処も必要かなと思われる。今週、普段の生活ならしているルーティンを飛ばしてしまった人も在るかもしれない。今週は仕方ないとしても、来週はなんとか立て直せるように祈ってます。そう、『自分のリズムでいこう。』だよ!

これがホントウの『確かめようのない事実』


で。大事なのは前回からの続きでな。『SCIENCE FICTION』が恐らく“Science & Fiction"から来ているとしても、しかし、そこからのヒカルは「いわゆるSF/エスエフ」にもしっかり踏み込んでいくのだ。だからちょっとわかりにくいのよね。


ここは今後のインタビューなどを待ちたいが、かなり早い段階でベストアルバムのタイトルが決まっていたのではないかと私は推理する。少なくとも、『Electricity』制作着手時点ではもう決まっていたように思われる。『何色でもない花』もそうかな。同時くらいかな? つまり、SFというコンセプトが出来上がってからそれに沿って歌詞を書きましたってこと。


ここの区別なんですよ。ヒカルが『SCIENCE FICTION』というタイトルを決める“まで”は、世に言う「いわゆるSF/エスエフ」が念頭にあったわけではなく、「私は科学も文学も好きだから、両方を併せてひとつの言葉(熟語)になってる“Science Fiction"がいいな。」とそう思っただけなのだが、ベストアルバムのタイトルが『SCIENCE FICTION』に決まった“あと”は、そうやって立ち上がった「SFというコンセプト」に沿ったクリエイトが始まったのだと。ジャケットのアートワークもそうだし、くまちゃんもしっかりSFになっている。そんなに気軽にワームホールが地球上に現れたらとっくに世界は滅んでるけども!



それはそれとして、今回は『Electricity』で歌われている例の話題の歌詞について触れたい。


『解明できないものを恐れたり

 ハマる、陰謀論

 そんな人類みんなに

 アインシュタインが娘に宛てた手紙

 読んでほしい

 愛は光 愛は僕らの真髄』


ここね。


ひとまず事実として、この「アインシュタインが娘に宛てた手紙」と呼ばれるものは、アルベルト・アインシュタイン本人が書いたものであるという証拠はない。社会的に正しくあろうとするなら、この手紙は偽物、虚構であると言う事になる。いや勿論、論理的に言うなら偽物だと言い切るのも問題があるのだけども、“分別ある社会人”としては、少なくとも本物と認めるわけにはいかない。しかし、だからこそヒカルはこのフレーズを『Electricity』に、引いては『SCIENCE FICTION』に採用したのだろう。人類の科学者の代表格たるアインシュタインの名と、それを冠する虚構。「科学的な虚構」ではなく、「科学“と”虚構」が隣り合っている。この状況こそ、ヒカルの元々の意図である“Science & Fiction"というコンセプトに相応しい。


そのコンセプトを援用してヒカルがこの歌で何を言いたかったかといえば…珍しいことに、ここでは他の歌を参照した方が早いのだ。そう、『何色でもない花』で


『確かめようのない事実しか

  真実とは呼ばない』


と歌っていたそれをその“次の曲”である『Electricity』のこの部分で示してみせたのだ。もしかしたら、「あれ?『何色でもない花』のここの歌詞、あんまり意味が通じてない?」とか思って『Electricity』に反映させたのかもしれないね。


先程触れたように、「アインシュタインの娘への手紙」が本物だという証明はない。一方でまた、これが偽物だという証拠も無いのだ。証拠というか、「これ書いたの、アインシュタインじゃなくて私だよ。」って告白した人が過去に居ないっぽいのね。もしかしたらもう墓場まで持ってっちゃってるかもしれない。そうなると、本物か偽物か俄かには確かめようがない。


さて、ここで貴方はどうするか、ってのがヒカルの問いたいとこなんですよ。これをアインシュタインが書いたかどうかはわからない。だったら無意味なものだと棄却するのか、それともいやこれはとてもよいものだと称賛するのか。これに関しては、称賛するポーズを取る為に人類史上最高峰の科学者の一人であるアルベルト・アインシュタインの権威(彼が最も“持ちたくなかった”or"なりたくなかった"ものだね)を、威光を借りることはできない。自分で判断するしかない。そして、そこにだけ貴方にとっての「真実」があるのだ。『確かめようのない事実しか真実とは呼ばない』とは、こういうことなのだ。確かめられる事実の中に貴方の真実を見出すことは出来ない。(或いは、極めて難しい)


つまり、砕けて言えば、この手紙を読んで感動したのなら、その感動は貴方にとって紛れもなく真実なのである。これにもしアインシュタインという『名高い学者』の名がついているなら、それは貴方にとって真実の感動かどうかわからない。「なんか凄くえらい学者さんが言ってる事だから、これはいいものなんだと周りには言っておけばいいだろう。」と貴方が思っていないと、どうして言い切れる? そういうことは、日常茶飯事だ。あの人が言ってる事だからで事態をやり過ごす事の何と多いことか。


だからヒカルは「アインシュタインの娘への手紙」を選んだのだろう。本物か偽物かわからないものと接して欲しい、と。事実と虚構の間(あわい)にこそ、サイエンスとフィクションの間(between !)にこそ、真実が、このベストアルバム『SCIENCE FICTION』があるのだと、この『Electricity』の歌詞はそう教えてくれるのだった。



んだからなー、だったら出来ればこのベストアルバムには、『In My Room』を入れて欲しかったよね。


『ウソもホントウも口を閉じれば同じ』

『ウソもホントウも君がいるなら同じ』

『ウソもホントウも君がいないなら同じ』


これらの歌詞は、虚構(ウソ)と事実(ホントウ)と真実(君の存在=君という光)のあいだの関係性を、当時のヒカルがどのように捉えていたかを端的に表している。(その詳細は次回に回すか…流石に今回は既に長い…) つまり、ヒカルの歌う歌詞の真髄は、25年以上経っても全く変わっていないのだった。それがよくわかるのがこの最新曲『Electricity』の歌詞なんだろうと思うのでした。

『SCIENCE FICTION』のタイトルの由来を考える


『SCIENCE FICTION』というタイトル、響きと見た目がカッコいい上に次から次へと出てきたニュートラックがどれもこのアルバムタイトル名に相応しいサウンドだったのでますますうってつけのタイトルになりつつあるが、未だにまだまだ馴染まないというかしっくりこないフィーリングも途切れない。理由は単純で、こちらが事前に持ってた「SF/エスエフ」のイメージと従来の宇多田ヒカルの音楽性や発言たちとはあまり直結しないからだ。


SF/エスエフという単語で何を連想するかはかなり千差万別だ。ヴェルヌやウェルズのような“正統的な”ものを思い浮かべる人もいれば、日本人ならアトムやヤマトといった漫画やアニメを想像する人もいるし、スターウォーズがそうだという人、寧ろスターウォーズこそが「SFではない」代表格だという人、本当に様々で、これを議論し始めると時間が幾らあっても足りないのでそこはおいておくとしても、たとえ明確な境界線が引けるわけではないとはいえ、「なんとなくあそこらへん」というイメージはあるだろう。例えば、突拍子もない例をとれば「はだしのゲン」はフィクションだがこれをSFと呼ぶ人はいまい。居たら是非名乗り出てほしい。本当に話を聞きたい。


そんな中、ネタバレになって申し訳ないがトレボヘでヒカルがSFの例として…でもないか、そういう話の流れの中で出した例がポーにCSルイスにトールキン…どれも日本の標準的な「エスエフ」からは程遠い名前だったのだ。それぞれ、「モルグ街の殺人」「ナルニア物語」「指輪物語」の作者名である。確かに、これら高名な作家の作品はその知名度の大きさと作品性の高さゆえエスエフというジャンルにも多大な影響を与えておりそれらの雑誌で取り上げられる事もあるかもしれないが、ジャンルとしてのSF作家さんたちではない。つまり、そもそもジャンルという概念から解き放たれている宇多田ヒカルにとっては「SF作品」という既存の先入観に囚われることなく“SCIENCE FICTION"という熟語を使っているものと思われる。


となると、『SCIENCE FICTION』というタイトルを「SF/エスエフ」として捉えるとマトが外れる。恐らく、このジャンルに何の思い入れも知識もない人の方が意味を正確に捉えやすいのではないか。ヒカルは科学と文学が小さい頃から好きだと言っている。大学では神経科学の分野に進む事も頭にあったようだし(将来おばあちゃんになってから携わるかもしれないしな)、作家としてペンネームが決めてある事は旧来のファンならご存知だろう、つまり作家になる夢をもったこともあるのだ。漫画は実際に投稿してるしな。で、その科学=SCIENCE で、文学≒虚構=FICTION ということで、好きなもの2つを並べただけのようなのだヒカルの口ぶりからすると。


つまり、『SCIENCE FICTION』というタイトルは、"Scientific Fiction" =「科学的な作り話」という形容詞と名詞の組み合わせではなく、"Science & Fiction" =「科学と虚構」という並列の2つの単語の組み合わせ、並べ合わせで作られてると解釈する方がよさそうなのよね。科学というのは真実や真理を追い求める人の営み、文学は空想とかたらればとかの虚構の世界を探究する営み。相反してるようでどちらも私の好きな営み、ということか。確かにこれで満足し切れるというところまでは行っていないが、そういう方向性の認識でいた方が少しは居心地がいいんじゃないかな。

『SCIENCE FICTION』の極々普通な総評を。


さて、せっかくの発売日なので、『SCIENCE FICTION』全体を聴いた総評などを。まぁ、他の人と言ってることあんま変わんないけどね。



取り敢えず、「ベスト・アルバム」という看板は詐欺同然だと記しておこう。ここまで「看板に偽りあり」な作品も珍しい。いや、でも、本来の意味での「ベスト・アルバム」という意味では、合ってるかもしれない。つまり、音楽ファンが手垢のついた意味合いで言う「過去曲をかいつまんで集めた有名曲集」という意味の「ベスト・アルバム」ではなく、「最高のアルバム」という意味でなら、これは確かに間違いなく「ベスト(な)アルバム」だと言える。まじでそれ。


後世の人が聴いた時、これを「最高傑作」と呼ぶのを躊躇うかどうか、これも見所なのだが今を生きる私(たち)は今に集中しようか。年がら年中昔の曲も最近の曲もまんべんなく聴いてる私のような身からすれば、陳腐なベスト・アルバムを出されてもいつも自分がプレイリストやシャッフルで聴いてるのと何も代わりないので「そんなものは作品と呼べない」とにべもない返答をするところなのだろうが、驚いたことに、、、いや、ヒカルなら当然か、全26曲、1曲たりとて流した/流れていったトラックがなかった。どれもこれも必ず「ん?」というフックがどこかにあった。それは、リマスターしかされていない『Fantome』以降の曲ですらそうだったのだ。随分変わってたねぇサウンド自体からして。


単なるリマスターですらそうなので、数々の2024 Mixなんてもう聴きどころ満載でな! いやよくもまぁこれだけ、聴き慣れまくった曲をリミックスして耳を楽しませてくれるよね。びっくりだよもう。『Automatic (2024 Mix)』である程度リミックスの方向性は把握してたつもりだったが、全くそんなことはなかったぜ。事前の予想を遥かに上回るバリエーションの豊富さで、もうずっと遊園地を待ち時間ゼロで周り続けてる気分だったよ!


そうなると新録3曲なんて「凶悪」なレベルの新鮮さだ。いきなりその新録の『Addicted To You (Re-Recording)』で幕を開けるのだからその自信の漲りぶりも当然か。昨夜スペシャル・ムービーをぶちこまれた『traveling (Re-Recording)』が創造する新しいハイ・テンション、そして『光 (Re-Recording)』の織り成す夢見心地と、三者三様全く隙がない。


そしてそして、新曲3曲の威力たるやもう「極悪」レベルである。もちろん純粋な新曲となると『Electricity』のみなのだが、『Gold ~また逢う日まで~』も『何色でもない花』も、25年の中から厳選された楽曲たちの中に無造作に放り込まれても全く動じないどころかこちらの態度としては「いよっ!待ってました!」な風格でしたよ彼らの登場に接してみると。おっとろしい。普通ベスト盤に新曲をプラスした場合どうしてもお客様感・外様感が拭えないのだが、『SCIENCE FICTION』は違うね。GoldとAFoNoCoとElectricityの3曲が他の23曲を「出迎える側」だった。主役・ホストは彼らだった。(人称の性別は省略させてもらったあしからず)


それというのも、総てにおいてヒカルが「いつものアルバムを作るのと同じだけの熱意を込めて」この『SCIENCE FICTION』を作り上げたからに他ならないのだろう。おっとろしいことしてくれたもんだな! 『SINGLE COLLECTION Vol.2』もシングル集とみせかけて主役はDisc2の新曲5曲だったが、この『SCIENCE FICTION』もまた新曲3曲が筆頭でそれに新録3曲とエディットが続き…という比重になっている。なんだかこの2作、タイトルの韻を踏んでることに今更気づいたりしているが、ヒカルが気合いを入れるとどうしてもこうなってしまうのだろう。うむ、しゃーなし! 全く参った降参である!



…しかしさて。こういう総評は、どこでも読める&聴けるものだから無意識日記読者的にはサラリと流してもらって結構です。こういう発売週の熱狂から離れた頃、カレンダーに書くことが何もなくなった頃に深く掘り下げるのがここのやるべきこと・私が読みたいことなので、それはまたツアーが終わったあとにでも、ね。そんときゃ読ませるからね? 今はまだこの熱狂の渦を引き続き享受しておきたい気分です。総ては気分次第♪ そんな気分!