無意識日記々

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『SCIENCE FICTION』のタイトルの由来を考える


『SCIENCE FICTION』というタイトル、響きと見た目がカッコいい上に次から次へと出てきたニュートラックがどれもこのアルバムタイトル名に相応しいサウンドだったのでますますうってつけのタイトルになりつつあるが、未だにまだまだ馴染まないというかしっくりこないフィーリングも途切れない。理由は単純で、こちらが事前に持ってた「SF/エスエフ」のイメージと従来の宇多田ヒカルの音楽性や発言たちとはあまり直結しないからだ。


SF/エスエフという単語で何を連想するかはかなり千差万別だ。ヴェルヌやウェルズのような“正統的な”ものを思い浮かべる人もいれば、日本人ならアトムやヤマトといった漫画やアニメを想像する人もいるし、スターウォーズがそうだという人、寧ろスターウォーズこそが「SFではない」代表格だという人、本当に様々で、これを議論し始めると時間が幾らあっても足りないのでそこはおいておくとしても、たとえ明確な境界線が引けるわけではないとはいえ、「なんとなくあそこらへん」というイメージはあるだろう。例えば、突拍子もない例をとれば「はだしのゲン」はフィクションだがこれをSFと呼ぶ人はいまい。居たら是非名乗り出てほしい。本当に話を聞きたい。


そんな中、ネタバレになって申し訳ないがトレボヘでヒカルがSFの例として…でもないか、そういう話の流れの中で出した例がポーにCSルイスにトールキン…どれも日本の標準的な「エスエフ」からは程遠い名前だったのだ。それぞれ、「モルグ街の殺人」「ナルニア物語」「指輪物語」の作者名である。確かに、これら高名な作家の作品はその知名度の大きさと作品性の高さゆえエスエフというジャンルにも多大な影響を与えておりそれらの雑誌で取り上げられる事もあるかもしれないが、ジャンルとしてのSF作家さんたちではない。つまり、そもそもジャンルという概念から解き放たれている宇多田ヒカルにとっては「SF作品」という既存の先入観に囚われることなく“SCIENCE FICTION"という熟語を使っているものと思われる。


となると、『SCIENCE FICTION』というタイトルを「SF/エスエフ」として捉えるとマトが外れる。恐らく、このジャンルに何の思い入れも知識もない人の方が意味を正確に捉えやすいのではないか。ヒカルは科学と文学が小さい頃から好きだと言っている。大学では神経科学の分野に進む事も頭にあったようだし(将来おばあちゃんになってから携わるかもしれないしな)、作家としてペンネームが決めてある事は旧来のファンならご存知だろう、つまり作家になる夢をもったこともあるのだ。漫画は実際に投稿してるしな。で、その科学=SCIENCE で、文学≒虚構=FICTION ということで、好きなもの2つを並べただけのようなのだヒカルの口ぶりからすると。


つまり、『SCIENCE FICTION』というタイトルは、"Scientific Fiction" =「科学的な作り話」という形容詞と名詞の組み合わせではなく、"Science & Fiction" =「科学と虚構」という並列の2つの単語の組み合わせ、並べ合わせで作られてると解釈する方がよさそうなのよね。科学というのは真実や真理を追い求める人の営み、文学は空想とかたらればとかの虚構の世界を探究する営み。相反してるようでどちらも私の好きな営み、ということか。確かにこれで満足し切れるというところまでは行っていないが、そういう方向性の認識でいた方が少しは居心地がいいんじゃないかな。