無意識日記々

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妄想論

光がキッパリ人間活動に入ると、たぶんどうにも"話し掛け"にくくなる気がする。普段のメールやメンションだって、そりゃ読んでくれると思って書いているんだけど、それ以上に光から反応があるかもしれないという"期待"があるからいえることばもあるのだ。

関根勤が自身の妄想癖について(妄想だけのDVDを出す位なのでまさに妄想のプロである)「まるっきり有り得ないことは妄想しづらい。もしかしたら万が一あるかもしれないと思えるラインで妄想する」みたいなことを云っていたが、こちらも妄想ばかり書き続ける身としてその点大いに肯ける。

妄想のポイントは、どの点が非現実的・非日常的であるかのラインを、明示はしなくても明確にしておくことだ。先日紹介したマンガ「密リターンズ」も、ファンタジー風味をどのラインまで盛り込むかが非常に微妙なラインをついていて、そのギリギリの成立感もまた作品の魅力だったが、後半にWJ編集部お得意の「テコ入れ」によってそのバランスを大きく変化させてしまい人気を急落させた。Twitterをみても「このマンガ、後半どうなったかの記憶がなかった」という呟きが複数あったので、多分本当に人気が落ちたんだと思う。つまらないと言われているうちが華、本当に何にもないと読まれなくなって記憶にも残らない。「人が死ぬのはいつだ?」「忘れられたときだ」―うーん、その通り。

話が逸れた。つまり、光との距離感が変わると、妄想の質も多分変わるのだろうなという話である。アイドルに恋人が出来たり結婚したりした時にファンがあれほど酷く狼狽するのは、何も本当に自分が付き合って貰えると期待している訳ではなく、正確にいえば妄想の方向性が変わってしまうからだ。純愛路線からNTR路線への変更とか、妄想作者としては実に負担である。

光の場合、「私だけのヒカルちゃん」な為妄想範囲の広さは通常のアイドルを上回る。浮気属性まで許容してしまったせいでそのバリエーションたるや…という話は長くなるからいいとして、女子に対しても妄想の門戸を広く開放している点は評価に値する。しかも別に百合属性に傾倒する訳ではない、Making LoveやPrisoner Of Loveの世界の住人になれるところが肝であり…

…という話の続きを書くのは大変そうなので止めておくけれども、この、架空の(というのか?)"話し相手"としての宇多田光を人間活動中どうするかは、我々妄想族にとって暫く課題になることは間違いないだろうな。うん。まぁ、あれだ、「ヒカルちゃんは元気でやっていますでしょうか、私は元気です―」的な文通書簡路線がいいかな―(以下妄想