無意識日記々

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Wild Lifeを見返してみる時に、そこで"演奏されていない曲"について思いを馳せるのはコップに水が半分しか入っていないと嘆くようなものだろうか。二時間半23曲というフォーマットが固まっている以上、リハーサル時間制約がある以上、レパートリがある程度揃ったミュージシャンには宿命だが、だからこそコンサートはキャリアが長ければ長いほど"ツアー"のうちのひとつとして捉える視点も忘れてはならない。それは、人々の人生という長い々々ツアーだが。

アディクもないキャンシーもない、This Is LoveもFight The Bluesもない、と言い始めればキリがない。UtaDAの曲なんて一曲も演奏されていない。ある意味そういった名曲群を"蹴っ飛ば"して選ばれ歌われた20余曲。中には"カバーする位ならオリジナルを"と思った向きもあったろうし、インストも別に…となった人も居たかもしれない。

それでも、コンサートはその一夜限りの作品なのだ。今ある楽曲の中から、その時その夜が最高のものになるように選ばれたパーツのようなもの。まず全体のコンセプトが曖昧にでも明確にでも無意識的にでも意識的にでもそこに存在し、それが全体の選曲を決定づける。

オートマと初恋とFoLはやんなきゃいけないよね、GBHもナマで歌えるかわかんないけどチャレンジしなきゃいけないし、中休みとかの意味も含めてEclipseからPassionにしよう、この夜に特別なことといえばジョンレノンの命日だから、、、という風に組み上がっていくパズルの中で、中心となった、柱となったコンセプトとは何か、鍵となった楽曲とはこのWild Life全体の中で何だったのだろうか。

思うにそれは、"その夜に歌われなかった曲"、或いは歌われない運命にあった曲、嵐の女神だったのではないか。終演後に流されたあの歌声を遠くの方に聴きながら、"そういえばこの歌唄わなかったんだ…"とぼんやり思ったあの感覚、あれがWild Lifeのいちばんの醍醐味だった気がする。

今思えば、あれはまるで他の総ての"唄われなかった歌たち"の代表者のようだった。選ばれる事は、選ばれない事なしには有り得ない…何か茫漠としたあの感覚は、いつものように丁寧にあらゆる"かかわった人々"に呼び掛けてお礼と感謝のことばを口にする光のMCとシンクロしながら、それでもそこに抱え切れなかった数々の想いを代表していた気がする。

考えてみれば、このDVDとBlurayはまさに、"その時その場に(居たくても)居られなかった人々"の為にある。その時の僕は浅はかにも気がつかなかったが、光はそうやって時と所を越えたあなたに向かってあの二晩唄いかけていたのだ。この映像作品は、そんな思いを載せて今、みんなの元に届き始めている。