無意識日記々

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昼と朝

昨夜児玉清の訃報を聴いた。毎週(とまではいかないけど)アタック25を録画して観ている(気がついてみれば定期的にチェックしているクイズ番組はこれひとつになっている)私からすれば、悲しさはさほどでもないが、生活の一部が欠落したような寂しさを覚える。ここ数週間彼はこの番組も休んでいたが、それでも、タモリが船舶免許を得る為に笑っていいともを休んだ時もそれがタモリの番組であったのと同じように、あのフォーマットそのものが児玉清の世界のままであって、彼は不在であっても彼はそこに居て、それは彼の番組のままだった。

アタック25は私より年上である。つまり、物心ついた頃から日曜の昼にはこの番組が流れていた。私と同世代で笑ってる場合ですよとかドリフの飛べ孫悟空とかを覚えている人は殆ど居ないと思うが、そんな私でもこの番組を初めて観た時の事は思い出せない。テレビが何なのかもわからない位小さい頃からそこにあった風景なので、あの空間から児玉清が消えてなくなるという事が未だにまるで信じられない。

当初は獲得枚数で賞金幾らとアナウンスしていた事も覚えているし、核実験に対する抗議の意味で行き先が変わったなんて気骨のある噂も耳にしたし、クイズバラエティー全盛時に読み上げ問題が減るマイナーチェンジが行われたときの気持ちもよくよく覚えている。

祖父がこの番組を好きで、日曜の昼に家に居る時は100%この番組を観ていた。土日に宝塚にあった(過去形。地震で崩れた。)実家に遊びに行った時は必ずテレビの隣にある舶来の飾りものと共にこの番組のひとつもわからないクイズの回答をぼーっと眺めていた。極論すれば、僕の"日曜日の原風景"を構成する欠くべからざる要素のうちのひとつだったのだ。

今は問題をきいても半分近くは解答がわかるし、問題文を読み上げ始める前に正答する事もあった位に番組の仕組みもよくわかっていて何の新鮮味もないのだが、それでも見続けているのはこの番組が私に子供の頃の日曜日の感覚を瞬時に思い出させてくれるからだとしか思えない。ノスタルジアである。

日本人にとって、日曜日のテレビ番組は"変わらずにそこにあり続けて欲しいもの"なのだろうか、笑点サザエさん大河ドラマなどは誰しもが羨む高視聴率だ。私の場合はそういう番組がお昼だった訳で、祖父が亡くなろうが実家が崩れようが、その感覚を通じて日曜日のあの倦怠感を感じとる事がいつでも出来た。

ヒカルの日曜の朝には、その倦怠感が絶妙に表現されている。あの、私の知らない頃から連綿と続き、私が居なくなっても果てしなく続いていくような不変の感覚。勿論ただの錯覚なのだが、土曜日の明日日曜日である事の期待に満ちた高揚感が辿り着いた先である事が信じられないくらいのあのけだるさの中で『幸せとか不幸だとか基本的に間違ったコンセプト』と云われると妙に納得してしまう。

この歌は、"朝"の歌である。まだ土曜日の高揚感の余韻が漂う、微睡みと黄昏の時間帯。日曜の昼の目映さと夕方の寂寥と。どこまでも淡々と、何かを悟ったように曲は流れる。その声で『ナゾナゾは解けないままずっとずっと魅力だった』と唄われると、何もわからずに児玉清のハキハキとした声で"その通り!"と正解を与えられていく私の知らない問題の数々がとてもとても懐かしく思われるのだった。まだあの番組続くのかな。