無意識日記々

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今のアニメは本当に凄い

もう一昨日の話。押井守が何か言っているとヤフトピで読んだので元記事にとんでみたのだけど。

http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201111200107.html

この文章からして他者の伝聞で、押井氏が正確に何と言ったかわかりづらい。まぁ、それはどうでもいいや。言いたいのは、多分こういった一連の記事の与える印象と異なって、今のアニメは本当に充実している、ということ。

特に、時流を確り睨みつつ後世にも通用する本格的な作品が増えているのが特徴的だ。この、流行と普遍の両面を淀みなく取り込んでいる所に、この業界の成熟を感じる。毎度小津の話を出して恐縮だが、彼はそのときの世相を巧みに取り入れつつ、それでいて時代や地域を超えて共感を呼ぶ作品を、初期の喜劇時代から一環して撮り続けていた。これは、つまり己の実力に自信があった証左だろう。自信の欠如は、過剰に流行を追い求めたり逆に殻に篭って独自の世界観を構築しようと力んだりといった偏りを生じさせるが、そのときの流行も自然に受け入れ、一方で己の個性も忌憚なく発揮できる、その自然体こそが自信の顕れだ。


あのレベルに達しているとはいわないが、今のアニメは全体としてそういう空気が、恐らく暗黙のうちに漂っているように思われる。業界全体に手応えというか、文化としての成熟への自信みたいなものが徐々に土台として出来上がっていっているのではないか。

それで目を引くのが、手法として流行や文脈、定型を利用して作品に意外性なり個性なりを孕ませる方法論だ。勿論代表格は2011年冬アニメの「魔法少女まどか☆マギカ」だ。

陳腐化したともいえる魔法少女モノの文脈を利用して独自の世界観への導入の時間短縮と意外性による視聴者への訴求の両方を獲得してみせた。流行と普遍のそのどちらにも目が配れる視野の広さ、現場でのモチベーションの高さがないとこういった作品は生まれない。アニメ・オリジナルでここまでの脚本を描ききった所も、私はアニメに詳しくないので断言はできないが、恐らく過去類を見ない事だっただろう。今年このアニメが放映された、という一点だけを取り上げても、「今のアニメはつまらない」といった類の論は破くことができるように思う。

特に、別に押尾氏が言ったかどうかはどうでもいいとして、「今のアニメはコピーのコピーの(以下略)」といった批難は上記のような方法論の存在を考慮に入れているかどうか疑わしい。一方に定型句や様式美があって、それを踏襲したり、或いは批評したり打破したり、といった多様性が業界の活力を生むのであって、踏襲すべき定型的方法論の確立とその存在・継承は業界としては歓迎すべきことだ。

今ニコ生で再放送中の、それも序盤だけしか観ていないが、「シュタインズゲート」にも同じ匂いがしている。

恐らく、推測だが主人公の厨二的発言の数々はトリックへの敷居を低くする、或いはわざと紛らせてミスリードする為のレトリックなのだろう。そういう手法が通用するのも、同時代の視聴者たちがその「厨二的発言」を常識的知識として共有している事が求められる。勿論、こういった側面は10年後20年後の視聴者には通じないかもしれないが、それは民俗学的にこの時代の背景・風景として一定の距離をもって捉えられるだろうし、恐らく本質となる脚本や構成を吟味する為に必要なのは「これが名作である」というその時代(10年後20年後)の“確定した評価”の方だろう。それは、今のうちに僕らがしっかりと創り上げておかなければならない。

であるから、「今のアニメはコピーの(ry」という批難があった場合は「それでいいのだ」と7文字で返しておくのが適切だろう。

それにしても今年のアニメはハイクォリティーだ。今放映中の「Fate/Zero」は特に凄い。骨格となる原作〜脚本〜構成のバトンの受け渡しがスムーズに行っているのだろう、全体として作品の構造が堅牢で破綻がなく、また、とにかくアニメという総合芸術エンターテインメントを形成する各要素の質がバカ高い。今挙げた原作脚本構成は勿論、声優映像音楽美術演出台詞Detail、総てが高水準で、アニメというメディアに最も必要とされる「その(架空の)世界があたかもそこに実際に存在するかのように錯覚させる力」が非常に高いのだ。毎週30分間、どっぷりとそのダーク・ファンタジーの世界に没頭する事ができる。「30分が早い!」という感想をよくみかけるが、それもこれもこの穴の見当たらない総合力の高さの所以だろう。

それでいて、これは恐らく「魔法少女まどか☆マギカ」の脚本も担当した(といってもマドマギカルテットの一人にしか過ぎないらしいんだが、細かい事情はよく知らん)虚淵玄のセンスだろうが、作品自体に対する自己言及的批評性が高いことも特筆すべき点だ。私も最初その点をよく斟酌せずに「台詞多い」と文句垂れてみたのだが、これは大きく浅はかな誤解であった。その、歌舞伎を彷彿とさせる台詞回し、いや、魅力的な登場人物が次々に披露する個性的な口上の数々が、逆に、余りに堅牢に構築された世界観について視聴者及び製作者が過剰な耽溺に陥るのを防いでいるのだ。

その点に意識的に気付かされたのが、第5話、ひとしきり登場人物たちが大見得を切って外連味だらけの口上の数々を流れ麗しく滔々と披露してきた挙句にライダーがマスターのウェイバーくん(この尽く人物描写が重厚なアニメにおいて一服の清涼剤たりえる貧相で軽薄な一少年)に向けて放ったひとことだ。


「おい坊主、貴様は何か、気の利いたセリフはないのか?」

これは、それまでの長口上を眺めて楽しんできた視聴者の気持ちを代弁した、それまでの流れからするととても肩の力の抜けた批評性の高い一文であり、そこで視聴者はこの重厚に構築された世界観を制作側が確りと相対化して捉えている事に気が付かされる。この手法は次回第6話でもさり気なく取り入れられており、セイバーとキャスターが一頻り咬み合わない会話を繰り広げた後アイリスフィールがポツリとひとこと、こう漏らすのだ。


「会話の成立しない相手って、疲れるわよね」

これは、第5話と同じく視聴者の心理の代弁であり、こういった台詞の挟み込みは一歩間違えれば構築した世界観への没頭を妨げ視聴者を冷めさせる虞もある所を、ギリギリのラインでうまく躱している。それもこれも、自らが構築した世界観の強固さへの自信の顕れであるともいえ、また、彼らがどういったルールでその世界を維持しているのかに対して非常に自覚的である事をも示している。

また、それとともに、この歌舞伎的口上の多用が作品全体に音楽的な躍動感抑揚感を生み、また、この物語が虚構であり、それを視聴者が楽しんでいるという構図を適切な平衡感覚で伝達する効果もある。平たくいえば、

「(TVアニメを見ながら)ねぇねぇ、お姉ちゃん、なんでこの主人公は必殺技を繰り出すとき、わざわざ技の名前を大声で時間をかけて叫ぶの? 相手はなんでそれを言い終わるまで待ってるの?」

という弟の疑問に対して

「おはなしだからよ。」

と返して、素直に作品を楽しみなさいと促す姉の役割をちゃんとこのアニメが自給自足している事を示している。こういう自己批評性の高い作品は破綻が少ない。自己充足的にならず、他者の視線を常に意識したエンターテインメント作品に結実する傾向を促すからだ。ここまで細部まで世界観を作り込んでおきながら、しっかりとそれを相対化する目線も持ち合わせている、これは現場(の全部とはいわないが)が健全に機能していることの顕れであろう。まだ2クールの3分の1を消化した程度だが、この「Fate/Zero」も2011〜12年アニメの成熟期を代表する作品となる確信を、もう私に限らず観ている誰もが持っていることだろう。いやぁ、面白い。

そういった自己批評性とは対極に位置するのが、UHFアニメとは一線を画す日本テレビ制作の「ちはやふる」だ。

ネット局が少ないのに、予算が潤沢なのか何なのか、メジャー感が非常に強い。主題歌もそんな感じだし。でもネット局が少ないから他の地域じゃ売れないんだろうなぁ可哀想に。いやそんなことは兎も角、読んだことはないが評判の高い原作の美点をそのまま素直に押し出す丁寧な演出の数々、王道ともいえる青春モノを真正面から描ききって視聴者を冷めさせずに引き込むだけの力量への自信の程が伺われる。なぜこれをゴールデンタイムに流さないのか理解に苦しむ。

まぁ、私みたいな人間は毎週見ながらこっ恥ずかしくて観ていられない、と思いつつ赤面顔で視聴を続けているのだけども。それでも見たいと思わせるんだからこの作品はかなりのものだ。長く続いて欲しいな。


概して、最近のアニメに顕著な傾向として、真正面から衒いや躊躇いなく、王道の作品を描写することを厭わなくなっているという点である。上述の「ちはやふる」の青春活劇なんかは、もう何周まわってきたんだかわからないくらいに使い古された設定なのに、それでも今、アニメとして面白い。カルタという素材は新しいかもしれないが、他の素材であっても、成功していただろうと思われる汎用性の高さがある。Fate/Zeroなんかはゲームが元で、しかもスピンオフ作品ということで傍流か亜流かと思いきや総てが正攻法の正面突破でみていて惚れ惚れする。少し前の世代、例えば前世紀の新世紀エヴァンゲリオンなんかは鬱屈折したそれより更に前世代への感情が歪な形で表現されていて、そこがまた純文学っぽくてよかったのだが、今の主力のアニメは総じてエンターテインメントとしてのクォリティーに心血が注がれており、嗚呼、娯楽を創りだす才能を持った人々は、今この界隈に集まっているのだなと深く感じさせる。そういう現状を見ずにアニメはつまらないなんて言ってる方がもっとつまらない、だろうな。

それにしても、今年の12月18日は日曜日か。こりゃ当日は「涼宮ハルヒの消失」を観るに限るわ。この作品については、また観直した時に語るとするか。