無意識日記々

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Keep Tryin'との連関で、Passionに於いて最も重要なパートはSingle Version独自のエンディングである。

『ずっと前に好きだった人』『ずっと忘れられなかったの』と畳み掛けるこのパートから引き続いてすぐさまKeep Tryin'を聴いてみれば瞭然、冒頭で『ずっとずっと祈っていた』が出迎えてくれる。

代表曲"光"にも登場するこの『ずっと』は、ヒカルの歌詞に於いては意味的には「永遠の象徴」であるが、それと共に音韻構造上非常に特異な存在でもある。この『ずっと』にあたる英単語が存在しなかったお陰でヒカルはSimple And Cleanで歌うメロディーを変えてしまった程なのだから。いや勿論『どんな』も『たった』もあるんだけれど。要は日本語の歌でしか登場しない音韻の流れなのだ。

歌ってみれば明白だが、どの『ずっと』も必ず『ず』の方が音が低く、『と』の方が音が高い。これは標準語のイントネーション(ほぼ平板か或いはやや"と"が高い)に合わせたものだ。"ず"に強勢と高音が来た場合擬態語のように聞こえてしまう。「ずいっと」みたいな感じにね。更に、濁音でありながらややくすんだ印象を与えるのも"ず"の利点であり、次の"と"の子音の歯切れ良さと母音のスケール感との対比もいい。総合すると『ずっと』は歌詞として、"一度溜めてそこから跳ね上がって開けるようなメロディー"に載せるのにうってつけなのである。

更に味噌なのが間にある促音の『っ』だ。ここの使い方次第でその"一度溜めてそこから跳ね上がって開(ひら)けるようなメロディー"にもグンと幅が出てくるのである。

例えば"光"では本来の促音の役割であるスタッカート、歯切れのよさを直前の"ず"に与えつつ、陰伏的な"溜め"として機能している。Passionでの『ずっと』の『っ』はどちらかといえば発音上は"ぅ"に近く、また音の高さも"ず"と"と"の間にある事から、その"開けていく感じ"を段階的、連続的に表現する事を可能にしている。"光"ではパンッと開けるような感じ、Passionでは"ぐわわっ、ぞわわっ"と開けていく感じ、と言い添えればイメージしやすいだろうか。

その2つの更に応用なのがKeep Tryin'の『ずっと』なのだが、今夜は時間が来てしまったようなので続きはまた次回という事で。