無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ひきちぎられずにねじれている様

ヒカルの場合、捻れの位置に居るというのは、超一流である事は誰しも認める所である一方、ファッションリーダーになったこともカリスマになったこともないし、熱狂的なファンに崇拝されるような雰囲気もないし、ただPopな訳でもただコアなだけでもない、"あれでもない、これでもない"なポジショニングを取っているという事だ。

確かにデビュー時は和製R&Bブームに乗っかる形で出てきたようにも見えたし、実際Misiaが一足お先にブレイクして下地を作っていてくれたというのもあるのだが、現実には宇多田ヒカルが売れた為に皆"R&B"という単語を知った、というのが正しい。以降その枷はかなりとれたが(今でもちらほら言う人は居る)、ファッションとかカリスマ以上に、ジャンルひとつを広められるだけの大ブレイクだった為、そもそも寄って立つ基盤なんてないのである。立ち位置といってもピンと来ないのはその為だ。

そして、その余りの大きさ故に、擬人化した表現を用いれば、日本という国のもつコンプレックスを解消してくれる存在として期待された。彼女が"本場"たる米国で本格的にブレイクしてくれれば、欧米に対して抱く憧憬を消して対等な国同士になれる気がする―そもそも相手の用意した舞台で戦おうと思っている時点で違うのだが、兎も角ヒカルはそこまで期待される存在になった。

実際の結果は今の所こんな感じである。世界的に最も知名度が高いのはKingdom Heartsに起用されたSimple And CleanとSanctuaryで、他方米国のラジオでそこそこかかったCome Back To Meも結構知られているだろう。アジア圏ではどうやらFirst Loveの人気が高いらしい。

こうやって眺めてみると、恐らく最初に期待されていたのはCBtMのような"アメリカのラジオで普通にかかる曲"で、これはかなり溜飲を下げたと思うのだが、もう一つはオタクの権化であるコンピューターゲームの中に組み込まれて普及した。しかも、日本の用意したシステムに米国産のキャラクターが乗っかるという、音楽の世界とは完全に主従が逆転した構図の中で、だ。更にもうひとつは英語の歌詞とか発音とか殆ど関係ない日本語主体の邦楽曲が、欧米以外の国でウケたという構図である。世界的に有名といっても、それぞれに事情が違う訳だ。

挑戦者として相手の土俵にあがったケース、日本発のグローバル仕様の文化とのコラボレーション、国内向けのものがそのまま海外でも通用したケースと、光の海外での成功はそのまま日本という国がこれからどう生きていくかのモデルケースになっている。どれもあまり相容れない方法論同士だが、光はこれを一身のうちに背負ってきたのだ。これがつまりは"捻れの位置"の正体である。1人の人間がこの"矛盾"を抱え込んでいるのだからまぁなんとも曰く言い難いよな。