無意識日記々

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セルアウト遥か昔にソールドアウト

セルアウト、か。売れ線に身を売るというヤツだが、今の日本でこの用語使う場面あるかねぇ。

我々の世代なら多少はあった。小室サウンドが売れた時に露骨に踏襲する別人が出て来たり、バンド系からビジュアル系に流行が移っていったらしれっと素知らぬ顔で路線変更していたり(一体誰の事なんでしょうねぇ)、時流に乗っかる人は絶えなかった。今はその時流とやらはない。大昔に戻って、欧米で流行ったサウンドに日本語を載せて売り出す手法が主になっている。

ヒカルは寧ろその時流を作った方だった。倉木麻衣なんていう超大型フォロワーを生んだのだから。もっとも、それは音楽性以外での部分の真似でしかなかったけど。それでもそれで300万枚を売ったのだからぐぅの音も出ねぇ。

でだ。セルアウトするにもアウト先が無いのだからどうしようもない。特定のジャンルの中でなら流行は幾らでもあるがそれはジャンルレスのヒカルにとって意味のある事だとは思えない。どれか特定のジャンル自体が浮上しないと流行とは言えない。それも、ない。

つまり、売れる為のレシピがない為アンチテーゼも提示できない。ヒットというのが見え難くなっている。

一方、本来ヒット曲を出すポテンシャルを持っている超有名バンドたちは興行が絶好調なので今更冒険的なシングルヒットは狙わない。

となるとヒカルの立ち位置は微妙だ。興行はそこまで強くないし特定のジャンルに拘泥しないし、果たしてリスナーは今どこに居るのかが全く見えない状況である。彼らがどのデジタルメディアを欲しているのかさえわからない。敢えて言えば、「よくこんな状況で曲作り出来るな」、だ。

タイアップはこんな時救いだ。それに合わせた作風やサウンドにすればよい。桜流しは、それ自体が独自の世界を構築していたが、それを可能にしたのはエヴァの存在があったからだ。次以降の新曲も、シングルカット扱いされる曲は悉くタイアップかもしれない。照準をそこに合わせればいいとすれば随分とラクになるが、果たしてヒカルはそれでいいと思っているのかどうか。まだまだわからない事だらけである。ヒット曲という概念を再構築して望まねばならない。